トランプ大統領を非難 アカデミー賞に影を落とした「風と共に去りぬ」は本当に白人至上主義か

国際 2019年3月4日掲載

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 第91回アカデミー賞授賞式が2月25日に行われ、スパイク・リー監督の「ブラック・クランズマン」が脚色賞を受賞した。

 実話にもとづき、黒人警官とユダヤ人警官コンビによる、白人至上主義団体KKK(クー・クラックス・クラン)への前代未聞の潜入捜査を描いた作品だが、この映画、始まるいなや映画「風と共に去りぬ」(1939年)のワンシーンがいきなり映し出されて不意を突かれる。南北戦争中、南軍の負傷兵で埋め尽くされたアトランタ駅前を、ヒロインのスカーレット・オハラがさまよい、南部連合旗がひるがえるというシーンだ。

「風と共に去りぬ」はまさに劇中にKKKが登場する作品であり、「南部の白人富裕層ロマンス」という印象が強い。「ドゥ・ザ・ライト・シング」(1990年)以来、人種問題と闘ってきたスパイク・リー監督のことを考えれば、人種差別の一種の象徴として引用されたことは明らかだ。

 しかし原作者のマーガレット・ミッチェルに「南部の白人富裕層ロマンス」と描く意図はなく、むしろ「人種と階層のるつぼを描く」構想のもとに書かれた小説である、と指摘するのは、翻訳家の鴻巣友季子氏だ。鴻巣氏は自著『謎とき「風と共に去りぬ」』の中で以下のように分析している。

「ミッチェルは『マグノリアの花が咲き、月明かりに照らされる白亜の豪邸で、貴族然とした白人のロマンスが展開する』という、昔ながらの虚構の南部神話を笑い、もっと垢抜けない、人種と階層が混交する南部の“実態”を描こうと腐心した。

 小説『風と共に去りぬ』は白人富裕層の話ではない。むしろ物語の重要な局面を動かし、人々を救い、本作を支えているのは、それ以外の人たちなのだ。異分子、よそ者、少数者、はみ出し者、日陰者たちが、真のヒーローでありヒロインと言っていい(白人富裕層で実際の役に立つのは、レットとメラニーぐらいだろう。スカーレットはヒロインのくせにつねに蚊帳の外におり、わけもわからず野性の勘だけで猪突猛進する)」(同書より)

 だからこそ、古き良き南部神話をなぞるような映画版「風と共に去りぬ」にミッチェルは「死ぬほどショックを受けた」し、「幻想の南部像を信じたがる観客の反応にも落胆」したのだという。ショックを受けたミッチェルが新聞社に宛てた手紙の一部を同書から引用しよう。

「今のわたしたち南部作家なら、あの戦争前の南部を描けると信じていました。奴隷を抱える農園主もいれば、自作農もいて、素朴な丸太小屋から50年しか経っていないおんぼろながら住み心地の良い家々が建ち並ぶ、本当の南部を。ところが、ファンファーレと共に映画が幕開けすると、観客たちはだれもかれも、ハリウッド版の古めかしい南部像を信じつづけてしまう。悲しいのは、こんな神話を北部人より熱烈に信奉したがる南部人が大勢いることです」(同書より)

 さらに鴻巣氏は、小説『風と共に去りぬ』の抱えるアメリカの南北断絶のテーマやモチーフはきわめて今日的なものでもあり、この作品が「現代社会の隠された真実を暴きだすディストピア(反ユートピア近未来)的な要素も兼ね備えている」ことに注目している。

 その言葉通り依然、人種差別はアメリカの抱える大きな問題だ。スパイク・リー監督が受賞スピーチで「2020年の大統領選挙が間近に迫っている。みんなが集結し正しい歴史を築こう」とコメントしたことに対し、トランプ大統領が自身のTwitterで「人種差別者の攻撃」と噛み付いたことも話題となっているが、「古き南部を称揚する白人富裕層のロマンス小説」と思われていた『風と共に去りぬ』が、むしろ断裂する現代を読み解く鍵となるかもしれない。

デイリー新潮編集部