川淵三郎との「独裁者対決」で渡邉恒雄が「勝ち目はない」と思ったワケ

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 本来、議論とはより良い結論を導くためのもののはずなのだが、国会論戦あるいは隣国あたりとの諍いについていえば、単に双方の緊張やストレスを高めるだけに終わっているケースがほとんどのようにも見える。
 2月22日放送の「グッド!モーニング」(テレビ朝日系)内の人気コーナー「池上彰のニュース大辞典」で取り上げたのは、激しい論争が良い結果を生んだ、という稀有な例かもしれない。

 平成史を振り返る趣旨で、この日取り上げたのは「川淵・渡邉論争」。Jリーグ発足時の有名な出来事で、以来、主役である川淵三郎Jリーグ初代チェアマンと渡邉恒雄読売新聞社長は「犬猿の仲」とされてきた。
 対立点は「地域密着型」か「企業型」か、という点だった。前者を理想とする川淵氏率いるJリーグは、各チーム名から企業名を排す方針を取ったのに対して、渡邉氏は企業トップの立場から、スポンサー名を冠すのが当然だ、という立場。つまりは「ヴェルディ川崎」なのか「読売ヴェルディ」なのか、というのが大きな争点となったのだ。

 当時、渡邉氏は、Jリーグの理念を「空疎」と言い、「川淵がいる限り、Jリーグは潰れる」とまで言い切っていた。さらに川淵氏のことを「独裁者」とも批判。
 一方の川淵氏も負けじと反論し「独裁者に独裁者と言われて光栄だ」と皮肉る。
 この対立をマスコミが面白がらないはずもなく、「川淵・渡邉論争」は格好のネタとなり、Jリーグ発足をピッチの外から盛り上げてしまったのである。
 しかしこの論争の後味は決して悪くない。

 番組で池上さんが解説で引用していたのは、川淵氏の著書『黙ってられるか』だ。川淵氏は当時を振り返って、渡邉氏への気持ちをこう述べている。

「結果としてこの論争は、Jリーグの理念を明確にして分かりやすく説明する訓練に役立った。たとえば、テレビ朝日の『ニュースステーション』にたびたび呼んでもらい、理念を話す機会をもらったりもした。そのおかげで、地域密着や企業スポーツからの脱皮といったJリーグが目指す姿が、広く深く理解されていったと思う。

 今では当たり前のようになっているプロスポーツと地域との関係だが、あの頃は『地域に根ざしたスポーツクラブ』や『スポーツを文化に』といった意味が人々に理解されていなかったのだ。

 バスケットボールに関わるようになってBリーグをつくるときに、あらためて、あの論争の効果を感じた。渡邉さんがいたから、そしてマスコミがいたからこそ、Jリーグは多くの人々の理解を得られたのだ。当時は大変な思いをしたが、今は感謝の気持ちしかない」

 これは決して社交辞令ではなさそうだ。同書には渡邉氏との対談も収録されている。著書を刊行するにあたり、誰か対談したい相手はいるかと問われた川淵氏が、真っ先に名を挙げたのが渡邉氏。その申込みを渡邉氏も即座に快諾したのである。
「独裁者対決」から四半世紀を経て、初めてじっくり話をした2人は、当時の心境などを率直に語り合っている。当時、渡邉氏は内心、論争について「勝ち目はない」と思っていた、と打ち明ける。受験勉強や哲学書の読書ばかりやって、スポーツに疎かった「非スポーツ人間」だったから、「まさに川淵さんのようなスポーツそのもののような人と喧嘩をしても勝てるわけないんだな」と言うのだ。

「スポーツを知らない人間が、川淵さんみたいな人と喧嘩をするというのも滅茶ですよ。だからこそ勉強せざるをえなかった。

 まあでも、スポーツの地域性、アマチュアリズム、プロフェッショナリズムとスポーツの関係性等々、川淵さんに対抗するためにずいぶん勉強しましたよ」(渡邉氏)

 川淵氏のほうはといえば、当時「参ったなあ」と思ったものの、結果的に論争が役に立ったと思っており「ずっと感謝の気持ちを持っていましたし、それをぜひご本人に直接言わねば、と思い続けていた」と語る。

 池上氏も解説していたように、結局、Jリーグの掲げた「地域密着」という理念は、今なお支持されており、プロ野球も取り入れるようになったのは周知の事実である。
 現在2人の間には何ら遺恨はなく、同書に掲載されている、握手をする2人の顔は実に和やかだ。

 現在進行形のさまざまな揉め事にも、こんな爽やかな結末が来ることがあるのだろうか。

デイリー新潮編集部

2019年3月3日掲載

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