川淵三郎氏のツイートのネタ元は「犬猿の仲」のあの人だった! 渡邉恒雄主筆との歴史的初対談の中味とは

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コペルニクス的転回

「(コペルニクス的転回、例え常識に反するとも180度考え方を変えてみろ)を実践しているのが本田選手。現役選手として発想が跳んでいる。将来が楽しみ‼」

 8月14日、Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏(現・日本トップリーグ連携機構会長)は、本田圭佑選手の「カンボジア代表監督就任」をツイッターでこのように祝福した。

 本田選手への期待感もさることながら、このツイッターで目を引くのが「コペルニクス的転回」という表現だ。これは哲学者のカントが作った言葉で、地動説を唱えたコペルニクスを引き合いに、物事の見方が百八十度変わるような大胆な発想の転回などを意味している。

 この言葉は川淵氏の最近のお気に入りで、講演などでも多用しているのだが、その「ネタ元」は意外な人物。なんと渡邉恒雄・読売新聞グループ本社主筆なのである。

 なぜこれが「意外」なのかは、一定以上の年齢層の方ならばすぐにピンと来るに違いない。

 かつてJリーグ発足直後、チーム名に企業名を入れるべきか否かということをテーマに渡邉氏と激しい論争を繰り広げたのは有名な話。当時、渡邉氏は地域密着型のJリーグの理念を「空疎」と批判し、川淵氏のことを「独裁者」と評した。川淵氏も負けじと「独裁者に独裁者と呼ばれるとは光栄だ」とコメント。

 マスコミは大いに盛り上がり、2人は犬猿の仲と目されていた。それだけに当時を知る人には、川淵氏が渡邉氏の影響を受けていたことは意外に感じられたに違いない。

 しかし、実は「犬猿の仲」が続いていたわけではないようだ。川淵氏の新著『黙ってられるか』には、当時のことを振り返っての心境がこう書かれている(以下、引用はすべて同書より)。

「バスケットボールに関わるようになってBリーグをつくるときに、あらためて、あの論争の効果を感じた。渡邉さんがいたから、そしてマスコミがいたからこそ、Jリーグは多くの人々の理解を得られたのだ。当時は大変な思いをしたが、今は感謝の気持ちしかない」

 この言葉は、決してきれいごとや社交辞令ではない。『黙ってられるか』には、何と渡邉氏との初の対談まで収録されているのだ。昔を知る人にとっては信じられない歴史的対談と言っても過言ではなかろう。

 その経緯を川淵氏はこう綴っている。

「本書の企画が持ち上がったとき、いま会いたい人や話してみたい人はいますかと聞かれ、真っ先に挙げたのが渡邉恒雄・読売新聞グループ本社主筆である。

 本文中にも記したが、彼とはJリーグができたときに“天敵”となり、メディアを通じて論戦を繰り広げた。しかし時を経て、Jリーグの“恩人”だと感じるようになった。

 いずれにしろ僕にとってはかけがえのない存在なのだが、渡邉さんはどう思っているのだろうか。

 いつかはきちんと話してみたい、当時の話をご本人の口から聞いてみたいという願いが今回かなえられ、たいへん光栄である」

 対談の中では件の「コペルニクス的転回」についても語り合っている。

川淵「以前、渡邉さんがテレビに出ていらっしゃった時に、カントの『純粋理性批判』を引用しながらお話ししていたのが印象的でした。高校生の頃、僕も読もうとはしたものの歯が立ちませんでした。あのテレビを見て、再度挑戦してみようかと思い、『中学生でも読めるカント』みたいな本を開いてみたら、『コペルニクス的転回』という有名な言葉がでてきた。これはいい、と思い、それ以来、講演でよくその言葉を使うようになったんです。

 要は百八十度発想を転換するということですが、これが必要な場面がよくある。たとえば今度のBリーグの改革でも、これまでとは全く違う発想が必要でした。だから、『コペルニクス的転回』という言葉を念頭に置いて改革をしました。

 振り返ってみればBリーグもそういう改革だったわけですが、その頃はその言葉は僕の語彙にはなかった。しかし、最近は渡邉さんのおかげで刺激をいただいて、本当によくその言葉を使っているんです」

渡邉「『コペルニクス的転回』は、『純粋理性批判』の中の言葉ですね。もともとはサブジェクトとオブジェクトの存在を引っくり返した、というところから来ているわけです。ただ、僕が日頃一番大事にしているのは『実践理性批判』のほうなんです」

川淵「へえ、そうなんですか」

渡邉「『実践理性批判』の中の結語の冒頭2行を、手帳にいつも貼りつけています。(コピーが実際に貼ってある手帳を見せながら)、手帳を替えるたびに貼り替えるている。(略)

 僕は91歳で無宗教。抱いてくれる人もいないから、それは悲劇ですよ。でも、カントの道徳律は常に胸におさめているのです。訳(やく)が二つあるんだけど、どちらも手帖に貼って持つようにしている。これが僕の宗教です。神の代わりですね」

 対談は終始和やかな雰囲気で、かつての対立はどこへやら、引用した哲学談義からスポーツ、オリンピック、政治等々、多岐にわたるテーマを語り合っている。特に東京オリンピックについては、「華美になりすぎてはいけない」という点で意見の一致を見ているのだ。

“天敵”がいつの間にか“恩人”となり、「犬猿の仲」が「互いを讃えあう関係」になっていた。これもまたコペルニクス的転回なのかもしれない。

デイリー新潮編集部

2018年8月23日掲載

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