MARCH受験のダブル合格者、どっちに進学した? 今後は“明治がリード”の情勢に変化

社会週刊新潮 2019年1月24日号掲載

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立地が人気を左右

「最も勢いがあって早慶に肉薄しているのが明治。交通の便がいい神田駿河台のキャンパスに建つリバティタワーは、都会的なイメージの象徴で、かつてのバンカラなイメージはまったくありません」

 と話すのは、東進ハイスクールを運営するナガセの市村秀二広報部長である。

「政経、法、商という元々の看板学部に加え、2004年に情報コミュニケーション学部、08年に国際日本学部が新設され、これらも人気を牽引している。今後もデータサイエンス系や建築系の学部新設が計画され、また、多くの学生を抱えるわりに、就職指導も行き届いています」

 昨年、明治とMARCH内の他大学にダブルで合格した受験生の進学先を見ても、明治法と中央法とでは、93・3%が中央を選んだものの、それ以外では多くが明治に入学している。

 駿台教育研究所の石原賢一進学情報事業部長は、明治の立地のよさを、

「ずっとお茶の水にあるということにも、人気が支えられてきました。1、2年も23区内の明大前に通います。大学関係者は“うちには根性とお金がないから、都内から出られなかった”とも言いますが、受験生の募集に関しては、結果的にプラスに働きました」

 と、別の角度から指摘する。70~80年代、キャンパスの郊外移転が流行したとき、明治は蚊帳の外だったのだ。反対に、78年に文系学部が多摩キャンパスに移転した中央大学は、

「当時の流れでは移転は仕方なかったとはいえ、マイナスでした。中央線や京王線の駅前ならまだしも、モノレールに乗り換える必要まである。青学も1、2年生は相模原に出ていましたが、13年に文系学部は青山に戻して、志願者増につながりました」(同)

 大学ジャーナリストの石渡嶺司氏が補足する。

「中央は多摩主体で、法政は多摩と市ヶ谷に分離。受験生は“明治は都心”と認識し、明治を中心に受験するようになりました。それでも、大学進学率が急上昇していた90年代までは、郊外立地はそれほど不人気につながらなかったのが、2000年代以降、交通費負担を敬遠する受験生が増加していったのです」

 だが、情勢は変化しつつある。ナガセの市村氏は、

「今後勢いが出そうなのは中央と法政です」

 と言うのである。

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