枝野代表の「伊勢神宮参拝」が炎上、明らかになった立憲民主支援者の“正体”

政治2019年1月23日掲載

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中道的な政治が炎上する時代

 少なくとも旧民主党の時代まで、首相と民主党の代表が新年に伊勢神宮へ参拝することは慣習となっていた。旧民主党代表が伊勢神宮を参拝したことを報じた記事を表にまとめてみた。

 保守的とされる読売・産経も、革新的とされる朝日・毎日・中日=東京も、普通の政治記事として民主党代表の伊勢神宮参拝を報じてきた。そこに党勢や、代表の政治的姿勢が透けて見えるからだ。

 実際、民主党は党勢を拡大させて政権交代を成し遂げたが、自民党に奪取されてからは勢いをなくし、最後は消滅に追い込まれた軌跡が明確に映し出される。

 だが表でも紹介したが、共産党の主張を伝える機関紙「しんぶん赤旗」となれば、報道姿勢は全く異なる。2006年1月4日の「首相の伊勢神宮参り/慣例ではすまない」から、少し長くなるが“オピニオン”の部分を引用させていただく。

《首相による年初の伊勢神宮参拝は慣例のように続いています。大手メディアは問題視しませんが、憲法が厳格に定める政教分離の原則からみて、問題なしとしません。政府による特定宗教の特別視につながる懸念があるからです。戦前の歴史では伊勢神宮は、天皇家の祖先神「天照大神」を祭る宗教団体です。戦前、国家神道の頂点として、国民に対する思想統制の中核的役割を担い、靖国神社とともに侵略戦争遂行の精神的支柱となった歴史を持ちます。

 憲法が定める信教の自由や政教分離原則は、国家神道が国民の思想統制の柱とされたことへの反省に基礎を置くものでした。このため、首相の伊勢参拝を、一般市民の初もうでのように「慣例行事」としてすますわけにはいきません。首相の伊勢神宮参拝は、一九五五年に鳩山一郎首相が最初に行い、六七年の佐藤栄作首相の参拝以降、慣例化しています。日本の政治は伊勢参りから始まる式に年初の伊勢参りで仕事始めとするのは時代錯誤の観があります。

 民主党の代表も、〇三年、〇四年の一月には菅直人氏、〇五年一月には岡田克也氏がそれぞれ参拝し、今年も前原代表が続きます。行政府の長である首相の参拝とは性格が異なりますが、伊勢参りで仕事始めとする点でも、自民党と民主党の間に違いがなくなっています》(註:データベース上に存在した一部の文字化けなどを削除した)

 もちろん共産党としては、「自民党と民主党の間に違いがなくなって」いることを、最も主張したかっただろう。自分たちこそが“本物の野党”だというアピールには、絶好の機会だからだ。

 しかし有権者のうち――たとえ安倍政権に対して批判的な層でも――「伊勢参拝を、一般市民の初もうでのように『慣例行事』としてすますわけにはいきません」と、拳を振り上げて糾弾する者は少数派だろう。政治担当記者が解説する。

「客観的な評価は別にして、枝野代表が“保守本流”を自認しているのは事実です。『自分は革新ではない。安倍政権が右寄りにシフトしているからそう見えるのであって、自分の政策的立ち位置は宏池会に近い』というわけです。宏池会は池田勇人が立ち上げ、大平正芳、宮沢喜一、河野洋平、加藤紘一、谷垣禎一といった“自民党ハト派”の派閥として今も機能しています」

 アメリカでトランプ大統領が誕生してから、共和党と民主党の間で政策の合意が難しくなっているという指摘がある。日本の有権者も“親安倍”か“反安倍”か、という両極端な主張に分かれる傾向がある。

「分かりやすく言えば、“中道右派”と“中道左派”が“極右”と“極左”に分裂したイメージです。つまり、立憲民主党の支持者には“急進的左派”が少なくないことが、今回の炎上騒動で浮き彫りになったと見るべきでしょう。『赤旗』の主張と近似しているのは偶然ではありません。それが、枝野代表の『安倍政権には反対だが、新年は伊勢神宮に参拝する』という中道的な行動が攻撃された理由です。そもそもネット上では、極論が目立つ傾向があります。一般の有権者は、枝野さんが伊勢神宮に参拝したことに、普通は何の異論もないと思います」(同・政治記者)

 枝野代表は18年、さいたま市の武蔵一宮氷川神社を参拝している。だが、こちらは全く問題とされなかった。「さいたま市の神社はOKだが、伊勢神宮は靖国参拝と同じように批判されるべき」という基準が成り立つとは考えにくい。

 枝野代表の参拝に厳しい有権者より、「安倍政権は嫌いだが、枝野代表が参拝するのは構わない」という有権者のほうが多い。枝野代表としては、この層こそ取り込みたい。だが、今の立憲民主党は、「安倍は嫌いだし、参拝も許さない」という有権者に支援されているようだ。ここに枝野代表の“苦悩”がある。

 朝日新聞が1994年12月に掲載した「翁の政治(村山内閣六カ月 自社さ政権の構図:5)」には、次のような一節がある。

《年明けの四日、村山富市首相は伊勢神宮に参拝する。神宮と天皇制との結び付きから、社会党内には異論もあった。首相は「毎年孫を連れて近所の神社に初もうでに行くようなものだ。日本人とはそういうものだ」と、意に介する様子はない》

 ネット上で村山富市氏の評価が芳しくないのは、ご存じの通りだ。だが、少なくとも宗教観に関しては、硬直的な立憲民主党の支持者より、遙かに柔軟で穏健な認識を持っていたのは間違いないだろう。同じ左派的な政策を指向しているにもかかわらず、村山氏と立憲支援者のうち、どちらが賢者で、どちらが愚者かは言うまでもない。

週刊新潮WEB取材班

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