「ペルー公邸人質事件」青木元大使が回顧する「イスラム国」の萌芽

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サリン事件が手本

 実は、ペルーの隣国・コロンビアのドミニカ共和国大使館でも、1980年に反政府ゲリラによる占拠事件が起きている。この時はテロリスト全員がキューバに亡命。トゥパク・アマルはこの事件を参考にしたとされる。そして実際に、

「フジモリ大統領もキューバに引き取ってもらおうと考えていた。しかし、カストロが“あいつら、なんて馬鹿なマネをしたんだ”と憤って受け入れを拒否したという。これも事件が長引いた理由のひとつです」

 結果、ペルーはコロンビアの轍を踏まなかった。事件発生の翌年4月22日、7本のトンネルを掘って特殊部隊が公邸へと突入。武装集団が全員射殺される一方、日本人に死者は出ていない。

 青木氏が続ける。

「あの事件以降、大使館がテロリストにジャックされた例はありません。重要な教訓は、まず国際赤十字を通じて人質の生活を守る。次に、テロリストと交渉はしても要求には応じず、中立的な立場を崩さない。そして、十分に時間をかけて一気に解決を図る。ペルーの事件によって、粘り強い交渉に基づいた解決策が確立し、テロリストも手出しできなくなったわけです」

 確かに、大使館を襲撃するテロは途絶えた。しかし、その代わりに増加しているのはイスラム国に代表される「無差別テロ」である。

 青木氏は、ペルーで公邸が占拠される前年に日本で起きた事件が、テロ組織の新たな手本になったと考えている。そう、オウム真理教が引き起こした「地下鉄サリン事件」だ。

「もはや要人を人質にして要求を突きつけるテロは不可能。サリン事件のように大衆をターゲットにした無差別テロで組織の力を誇示するようになった」

 ペルーの占拠事件では蚊帳の外だった日本政府。22年が経っても危機管理体制が強化されたとは思えない。

週刊新潮 2018年12月27日掲載

ワイド特集「平成の『カネと女と事件』」より

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