靖国神社に放火で逮捕! 中国人は「南京事件」を本当に知っているのか

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間違いはどこにあるのか

 もちろん30万人ではなく数万人、数百人であっても一般人の殺害は許されるものではないだろう。人数で言い争っても、「30万よりも少ないから見逃せというのか」という批判を招いてしまう。
 だから「南京事件」で争うべきは、数ではなく、誰がどんな間違いをしたのか、という点である、と有馬氏は説く。

「まず、問わなければならないのは、なぜ『南京の大勝利』ではなく『南京事件』になったのかということだ。つまり、通常の戦闘ならば、何万人戦死しようと、当時の朝日新聞でも報じられたように、それは軍事的大勝利であってなんら問題はない。通常の戦闘以外の死者がきわめて多く出たので『南京事件』と呼ばれることになったのだ。

 では、なぜ通常の戦闘にならなかったのだろうか。端的にいうと国民党政府軍事委員長・蒋介石が戦いの途中で麾下(きか)の数万の兵士を置き去りにして南京から逃げたからだ。(略)

 日本軍に包囲され、指揮官を失い、逃げ道を失った彼らは、投降するより軍服を脱ぎ捨てて便衣(中国の庶民の服)を着て民間人になりすますことを選択した。だから、南京入りした日本軍は、脱ぎ捨てられたおびただしい数の国民党軍の軍服を発見した。
 日本軍は当惑した。南京市内には一般市民がいる。彼らと便衣服を着て一般市民になりすました国民党軍兵士(以下、便衣兵)とを見分けるのは難しい。

 もっと問題なのは、この2者を足すと日本軍よりはるかに数的優位になるということだ。安全区国際委員会の報告書でも南京陥落前後に安全区にいた中国人は前述のようにおよそ25万人だった。
 何も手を打たなければ、疲れ切っていて、そのうえ緊張の糸が切れかかっている日本兵は、便衣を着た国民党軍兵士のゲリラ攻撃の絶好の的となる。下手をすると大打撃を蒙って南京から撤退しなければならなくなるかもしれない。
 そこで、『掃蕩』が行われることになった」

 当時の中支那方面軍司令官の松井石根大将は、青壮年は便衣兵と見なして逮捕監禁せよ、と命じた。しかし、ここでいうところの「掃蕩」は、本来、その場から「取り除くこと」であって、「処刑すること」ではなかった。が、実際には処刑されるものも相当数出てしまう。

「日本軍は逮捕監禁した『青壮年』中国人を国民党軍兵士と民間人とに選り分けようと努めた。実際それを実現できた日本軍の部隊長たちもいる。だが、数があまりにも膨大で、収容施も不足していて、まだ何が起こるかわからない状況では、現実的に対処せざるをえない。

 また、国際法上の問題もあった。当時南京安全区にいて、日本軍の行動を見ていた欧米人は、逮捕監禁された人々を『捕虜』として人道的に扱うように外交ルートを通じて日本軍に求めた。(略)

 ハーグ陸戦法規では、戦闘で敗北した兵は、降伏して『捕虜』となれば人道的扱いを保障されることになっている。日本はこの法規を批准していたので、彼らが『捕虜』ならば、そのように扱わなければならなかった。

 ところが、この段階では、日本も国民党も宣戦布告をしておらず、日中間の戦いは正式の戦争ではなく『事変』という扱いになっていた。日本側も中国側も、正式の戦争とすると国際法規にしばられるので戦いにくくなり、かつアメリカの『中立法』に引っかかり、戦略物資を調達できなくなるというのが理由だった。
 したがって、日本軍が『掃蕩』した『青壮年』中国人のなかの便衣兵に関しては、ハーグ陸戦法規の埒外で、『捕虜』ではないということになる。
『南京事件』に関して、外国人居留区にいた西欧人の証言がよく引用されるが、彼らが現地中国人から聞いた『虐殺』のほとんどは、便衣兵の処刑だとみられる(伝聞で知った未確認情報なのでこういうしかない)。

 しかし、日本軍がこの法規にしたがったとしても、戦闘員が民間人になりすますこと自体が違反なので、非は便衣を着て民間人に化けた国民党軍兵士にあったことになる。
 実際、安全区に逃げ込んだ便衣兵が避難民を人間の盾にして、隠し持った武器を使用して日本軍と戦闘に及んだという例さえある。これが大規模に、しかも多発すれば、どういう事態になるか容易に想像がつく。こういったことを未然に防ぐためにも、便衣兵に関しては処刑もやむなしということになる。たとえ便衣兵がハーグ陸戦法規を知らなかったとしても、戦闘員は民間人を巻き込むような行為をしてはならない(略)。

 はるかに大きな責任と罪があるのは、我身のことしか考えず、組織的に南京から撤退するということをしないどころか、逆に督戦隊を置いて兵士が城外に逃れられないようにし、便衣兵にならざるをえない状況をつくり、南京市民もそのまま置き去りにした蒋ら国民党軍幹部だということを改めて確認しておこう。

 その一方、日本軍による一般市民への残虐行為と暴行の事実も決して見過ごすことはできない。欧米人による目撃証言は、便衣兵に対するものほど規模は大きくないものの、老若男女を問わない一般市民への残虐行為と暴行が行われたことも明らかにしている。また、日本軍自体がそれを認めている。とくに女性に対する性的暴行が目立っていて、安全区にいた欧米人もしきりにこのことを日記や手紙に書いている。
 これらの残虐行為と暴行は戦闘行為とはいえず、いかなる弁解の余地もない。この点は重く受け止め、日本軍の非を認めるべきだろう。この部分までも否定すると、かえって誠実さを疑われ、再三いうが、国際世論を敵に回すことになる」

 こうした事実を踏まえたうえで、再度、日本側の公式見解を見ると、実は過不足なく「南京事件」について反省すべき点は反省し、お詫びの気持ちを示していることがよくわかるだろう。
 それにもかかわらず、わざわざ靖国神社で抗議活動を行うというのは、ピントの外れた単なる犯罪だと言われても仕方がないのではないか。

デイリー新潮編集部

2018年12月15日掲載

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