キャバレー「ハリウッド」61年の歴史に幕 みの“飲み方教わった”

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

 東京の繁華街からまた一つネオンの灯りが消える。

 12月30日をもって、その長い歴史に幕を降ろすことになったキャバレー「ハリウッド」。専属バンドによる生演奏が響く大箱の場内で、ミラーボールに照らしだされた男たちが、紫煙をくゆらせながらキャバレー嬢の嬌声に相槌を打つ。そんな光景もこれで見納めとなる。

 さる事情通によれば、

「“キャバレー太郎”の異名を取った福富太郎会長が1957年に26歳で立ち上げたハリウッドは、最盛期には直営店だけで29店舗を数えました。東京五輪が開催された64年には銀座に1千坪、ホステス800人という特大キャバレーをオープン。しかし、時代の流れとともにキャバレー文化は衰退し、近年は北千住の本店と赤羽店を残すのみだった」

 さらに、今年5月29日には、その福富会長が86歳で永眠。

「7月23日には北千住の本店を貸切にして“キャバレー葬”が行われましてね。政治家やプロ野球選手、タレントさんなど有名な方も多く参加されていました。美術品の蒐集家として名を馳せた福富会長だけあって、画廊関係者や出版関係者もいらっしゃっていた。故人の遺言で喪服は禁止でしたから、それはそれは豪華絢爛なパーティーのようでしたよ」(同)

 そんなキャバレー葬に参加した“大物”の一人である、みのもんた氏も次のように述懐する。

「あの店とは昭和42年(67年)、僕がまだ文化放送にいた頃からの付き合いでね。今のキャバクラと違って、若い女の子がいるとか、そんな売り方はしていなかった。お客さんも働く女性も大切にするお店で、僕らは福富さんに飲み方を教えてもらったようなものです。本当にキャバレーにも美術品にも、奥様にも、全てのものに一途な方でしたよ」

 閉店前のラスト3日は完全予約制。アンコール無しの終幕は必見である。

週刊新潮 2018年11月8日号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。