大地震で“キャッシュ信仰”へのゆり戻し(古市憲寿)

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 9月6日に起きた北海道地震は、道内全域に約295万戸の停電を発生させた。キャッシュレス派は大変だったようだ。自家発電機を持たないコンビニやスーパーでは、電子マネーやクレジットカードが一切使えないのだから。ネットには電子マネー派の悲壮な体験談と、現金派の嘲笑があふれた。

 びっくりしたのは、災害の多い日本では、現金の大切さを再確認したという評論まで出ていたことだ。

 確かに多少の現金は持っておくに越したことはない。電子化が進んだ中国でも、お寺の入場料やお賽銭は今でも現金が多いし、完全に現金が消えたわけではない。

 しかし北海道の停電も、多くの地区では数日中には復旧した。ごくまれにしか起こらない「有事」を基準に社会を作るのは、端的に言って間違っている。

 日本はとにかく自然災害が多い。有事をあげつらうならば、中国やロシアという超大国から攻め込まれる可能性もゼロではない。あらゆるリスクを考えたら、国中をとんでもなく堅牢な要塞にする必要がある。

 だが、そんな国は住みにくいだろう。毎日、防災訓練が義務として課され、税収のほとんどは社会保障ではなく堤防工事や防衛費に充てられる。もちろんハイヒールは禁止で、常に防災頭巾をかぶれと言われる。

 いつ起こるかわからない有事のために、そんな風に日常を犠牲にするのは馬鹿げている。何十年に1度の大地震に備えてキャッシュレス化を進めないという提案には笑うしかない。

 悩ましいのは、だからといって「何もしないでいい」という結論にはならないこと。『FACTFULNESS』という本によれば、この100年間で、自然災害で死ぬ人の数は激減しているそう。

 やや直感に反するデータだ。僕たちは連日のように、台風やハリケーン、津波などの災害で膨大な数の人が死ぬのを知らされている。だが災害で死亡する人の割合は、1930年代と2010年代を比べると、何と45分の1以下になっているという。

 なぜなら世界全体が豊かになり、災害に備えられるようになったから。実は現代でも、収入のレベルによって、災害の恐ろしさはまるで違う。1日2ドル以下しか稼げないような最貧地域では、32ドル以上稼げる豊かな地域よりも、自然災害で8倍近くの人が命を落としている。

 たとえば、2015年にネパールで起こった地震では、津波の起きない山岳国なのに9千人近くが死亡した。貧しい国ほど自然災害の影響が大きくなるのは、建築物や道路などのインフラが脆弱で、医療機関も十分に整備されていないからだ。

 災害の多い日本が、耐震性の高い建築物を造るのは合理的である。思えば1923年の関東大震災では約9万人が死亡した。もし明日、同じ規模の地震が東京で起きても、被害ははるかに少ないはずだ。

 しかしいくら社会が防災機能を高めたところで、最後は確率である。キャッシュレス派をやめるつもりはないが、防災おまもりでも買おうと思った。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2018年10月4日号掲載

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