海老名香葉子、命運を分けた「がん検診」を振り返る 私はこうして「乳がん」から生還した

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 いくらお医者様に通っても、がんと分かるのは“運”だなぁと思うの。

 54歳で亡くなった私の夫・初代林家三平がそう。夫は脳溢血で倒れて以来、月1回必ず大きな病院で検査を受けて、何か兆候があれば分かる筈なのに、肝臓がんだと分かった時は末期で手遅れ。もって3カ月と先生に言われ、私はびっくりでした。朝日新聞の記者だった甥っ子なんかは“毎月、検査をしていたのにおかしい”と、病院に対して怒っていましたけどね。夫は争うことが嫌いだから、“絶対に先生を責めないで。どんなに一生懸命、検査をして貰っても寿命はあるよ。運なんだから、これでいいんだ”と言ってね。最後まで寄席に出たいからと、がんになったことは口外しないよう頼まれました。そういう意味では“不運”でした。

 一方の私は“幸運”と言えるかもしれません。実は若い頃から心臓に持病があって、よく大学病院で検査を受けていたんです。70代も半ばを超えた2009年、たまたま主治医の先生から、“海老名さん、僕はこんど病院に新しくできた人間ドックのセンター長になったので来てみませんか”とお誘いを受けてね。義理もあるから足を運んで検査したら、その先生が“いやぁ、まずいなぁ”と。胸にしこりがあってがんと言われた。うちの倅(せがれ)の三平に伝えたら驚いちゃって、スーツにネクタイしめて先生の所へ飛んで行って病状を聞いたとか。

 私のお乳には、右に2つ、左のリンパ腺の近くに1つ、左の真ん中にも1つと計4つのしこりがあった。幸い左の真ん中の1つだけが悪性で、他は問題なかったんです。それですぐに手術をして、5日後には退院、9日目には鹿児島へ仕事で行けました。それまではあっという間の出来事でしたけど、術後の再発予防の治療が始まってからが大変でした。がんが見つかって9年経ちますが、今でもホルモン剤と骨を弱くさせない薬を朝晩のんで、半年に1回、注射を打ちに病院へ行く生活です。しかも、病院に行くとがんの患者さんばかりで、みんな暗い顔しているし自分もがんが見つかった時のことを思い出しちゃう。そういう時は、日本橋や銀座に出てソフトクリームを食べてから帰るの。そうやって気晴らしをして、家に帰るようにしたんです。だって暗い顔をしていたら、子どもたちも心配するし。だから、私が早く治ったのは気持ちの問題も大きい。

 本来、私は心筋梗塞を3回やって胆嚢も全摘しているから、決して体は強くない。それでも再発がなく元気でいられるのは、やっぱり気持ちの問題。がん患者だってことは忘れて、よく食べて、よく寝て、よくしゃべる。たくさん笑って生活することが、何よりの健康の元だと思います。

週刊新潮 2018年9月13日号掲載

特集「『さくらももこさん』の命を奪った『乳がん』に打ち克つ知恵」より

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