小学校で教科になった「道徳」、世界各国の「道徳教育」は?

社会2018年9月14日掲載

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 夏休みが終わり、学校での授業が始まった。国語や算数などと同じ正式科目として、小学生たちが「道徳」を学んでいる。
 長らく「道徳」は科目扱いをされてこなかった。それが実は2018年春から正式な教科になり、新たに教科書も配布されたのだ。来年からは中学校でも実施される。
「道徳」が学校の正式科目となったのは、じつに七十数年ぶりのこと。戦前の「修身科」が敗戦で廃止されて以来の復活とも言える。

 なぜいま教科化なのか? なにが変わるのか? いじめが減るのか? 学校現場や保護者から様々な疑問があがるなか、教育評論家の森口朗氏は次のように話す。

「正式教科になったという事実をより幅広い視野でとらえるために、海外ではどんな道徳教育をしているのかに目を向けることも必要ではないでしょうか。
 最初に知っておくべきは、必ずしも世界中の学校で道徳教育が行われているとは限らない、という点です。しかし、モラルを持たない国民や民族はいません。日本人とモラルが違ったり、モラルの高低があったりという違いはあっても、モラルがなければどんな社会も成り立たないからです」

 ではどうやって諸外国ではモラルを育んでいるのだろうか。多くの社会が学校教育にモラル形成を依存している訳ではないという。
 森口氏は新著『誰が「道徳」を殺すのか――徹底検証「特別の教科 道徳」』を執筆するにあたり、海外の道徳教育の現状を研究したという。そこから見えてくるそれぞれの国の教育方針や事情とは――(以下、「」内は同書より引用)。

道徳教育をしないフィンランド

 フィンランドといえば教育界でお手本のように語られる国の一つ。だが「道徳」の教科はなく、その代わりに行われているのが宗教教育だ。「なぜそうするべきなのか」「なぜしてはいけないのか」というモラルや価値観は、じつは宗教そのものと不可分なところが大きいという。

「道徳教育をほとんど行わない国の一つが、一時期日本の教育界で『見習え』の大合唱が起きたフィンランドです。なぜしないのかと言えば、学校教育において宗教教育が実施されているからです。
 フィンランド国民の圧倒的多数はルーテル派(ルター派)クリスチャンです。そして、ほとんどの学校では非宗教的な道徳教育ではなくルーテル派の宗教教育が行われています。

 ただもちろん、宗教的マイノリティのための制度も用意されています。
『フィンランド政府に登録された宗教団体であること』などの要件を満たせば、別の宗教教育が可能です。そのハードルは決して高くなく、プロテスタントやカソリック、イスラム教、仏教といったメジャーな宗教はもちろん、クリシュナ意識国際協会のようなマイナーな宗教、さらにはセブンズデー・アドベンチスト教会やバハーイー教のように他国(ベルギー)でカルト認定された宗教もこのカリキュラムの中で宗教教育が行われているのです」

 道徳教育の代わりに、宗教教育――これによく似ているのがドイツだという。心の教育については、基本的に宗教の役割と考えられており、憲法で宗教教育が定められている。

 この2カ国とは正反対に、学校から宗教いっさいを排除したうえで、「公民教育」を行っているのがフランスだ。

フランスの公民教育

「フランスは、かつて人口の9割近くがカソリック信者と言われた国ですが、公立学校の教育では徹底的に宗教性が排除(『ライシテ』と呼ばれルール化)されていて『義務』『無償』と並ぶ3大基本原則になっています。
 科目名は日本の小学校に当たる初等教育では『道徳・公民』、中等教育では『公民』となっています。

 フランスの公民教育の大きな特徴は、共和国のメンバーを養成するという視点が貫かれている点です。授業項目は、市民の権利に関することはもちろん、フランスが有する『自由』『平等』『友愛』などの諸価値や『国家、国防及び国民の安全保障』といった項目も学習します。さらに『非宗教性を説明する』として、なぜ公的機関において宗教性を排除しなければならないのかの説明もこの中で行います。
 宗教的価値を排除するだけでなく、共和国が共通して有する価値以外の教師の個人的価値観の押し付けについても抑制的です。そのため授業スタイルは議論が中心になります。

 初等教育の『道徳・公民』が中等教育の『公民』と接続し、最終的には世の中の事象に対して、自分なりの意見を表明できるようになる。フランス人が考える市民道徳は、デモクラシー社会を維持するために必要な素養なのです」

イギリス、アメリカの「市民学習」

 イギリスはこれらの国々とは異なるベクトル、「多様性」と「公民教育」を打ち出す。
「意外に多様性に寛容なのがイギリスの公教育です。
 長らく統一的な『道徳』も『公民教育』も無かったのですが、労働党のトニー・ブレア政権は、民主主義社会の核となる“責任ある市民”を育てるために、民主主義の理論と実践を学ぶ教科『市民学習』(Citizenship)の重要性を提言しました。それはブレアの『重要な政策は3つある。教育と教育と教育だ』という演説からも明らかです。
 国内外の教育界に強い衝撃をあたえたものの、『市民学習』の重要性は、多くの人々に了解されたのです」

 最後に、アメリカの道徳教育を見ておこう。
 
「現在でも、アメリカでは社会科の一つとして公民教育・市民教育を実施しています。ただし、教育制度が州によって趣が異なるので、『アメリカの道徳教育』を一律に論じることはできません。
 ただ、民間団体も協力して全米共通スタンダードが作成されており、各州が概ねそれを参考に市民教育を行っていると考えられます。ちなみに全米では学力調査が実施されているのですが、市民教育も学力調査の対象になっています」

 宗教教育、公民教育、市民教育……名前はそれぞれ違っても、その国の人々にとってはそれこそが道徳教育というわけだ。同時に、道徳教育には一つとして同じシステムはないように見える。森口氏は続ける。
「ご紹介した国々の国民道徳の基底には、キリスト教が存在します。それでも、これほどまでに各国の教育制度は異なるのです。つまり、どのような道徳律を有するかは、その国の国民性そのものです。まさしく『道徳は国柄を表す』のです」

 少なくとも教科になっているかどうかと関係なく、日本人のモラルの高さは世界的にも一定の評価を得てきた。東日本大震災の大きな被害のなかでも大混乱が起きず、いつもと変わらない順番待ちや譲り合いが見られたことはその例のひとつだろう。

 正式教科になった道徳で、よりモラルは向上していくのだろうか。

デイリー新潮編集部