エッフェル塔に登れずに考えた「自分よりマシ」なこと(古市憲寿)

社会週刊新潮 2018年9月13日号掲載

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 パリのエッフェル塔へ行ってきた。ちょうど日没1時間前。夕暮れから夜景に変わるパリの街並みを一望できそうな時間だ。しかし荷物検査を通過し、塔の下まで行くと、とんでもない長蛇の列ができていた。何でも最近、新しい入場法を導入したことで、混雑に拍車がかかり、従業員がストまで起こしたほどらしい。

 仕方なく、エッフェル塔を離れ、夜景を見渡せそうな場所を探す。すると、モンパルナス・タワーという高さ210mの超高層ビルの展望台がまだ開いていることを発見した。UBERで20分かけて到着した先には、黒くて不気味なビルが屹立していた。

 ここでも行列ができていたが、その場でオンラインチケットを買うと、すぐ中に入れた。展望台に着く。そこに広がっていたのは美麗なパリの夜景だった。何より素晴らしいのが、輝くエッフェル塔が見えることだ。

 当たり前だが、エッフェル塔に登っていたら、エッフェル塔は見えなかった。

 まるで倫理の教科書のような発見である。美しいものから、美しいものは見えない。それは、遠くから愛でるくらいでちょうどいい。

 ちなみにパリっ子は「モンパルナス・タワーからの眺めはパリで一番美しい。モンパルナス・タワーを見ないで済むからだ」という軽口を叩くそうだ。パリに不似合いなこの高層建築が嫌われているのだ。

 こちらも考えさせられる話である。醜い場所から、世界が一番美しく見える。確かにスラム街から見上げる超高層ビル、貧困層が想像する富裕層は眩しいほどの輝きなのかも知れない。

 話は少し変わるが、売れた瞬間につまらなくなる作家の話を聞くことがある。貧乏だった頃は、作中で憧れのセレブ生活を描いていたのが、自分が売れてからは貧乏人の話を書いてしまう、といった具合だ。

 エンターテインメントには憧れが欠かせない。安達祐実主演の貧乏ドラマ「家なき子」が爆発的にヒットしたのは、バブル崩壊後とはいえ、今よりもまだ社会に余裕があった1994年。貧困が深刻な問題となっている今の日本で、同じようなドラマが当たるとは思えない(そういえば去年、「大貧乏」というドラマがあったような)。

 暗い時代に、暗い作品は観たくない。どんどん貧しくなる日本では、自己を投影できるような、明るいフィクションが増えていくのだろう。

 一方、ワイドショーでは悲惨な事件が好まれる。「自分のほうがマシ」と思えるからだ。「マシ」という感情は、人々を幸せにする。内閣府の最新調査によると、「現在の生活に満足」と答えた人は74・7%にのぼった。高度成長期やバブル期よりも高い数値だ。「他人よりマシ」「自分の人生はこんなものだろう」というあきらめが、生活満足度を押し上げているのだと思う。

 その心情は、ただ単に混雑のためエッフェル塔に登れなかっただけなのに、こんな自己正当化のようなエッセイを書いてしまう僕には、よくわかる。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。