人はなぜ恐山に死者に会いにくるのか 小林秀雄賞受賞の禅僧が語る「知られざる恐山の姿」

社会 2018年8月30日掲載

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老夫婦の五月人形

超越と実存―「無常」をめぐる仏教史―』で第17回小林秀雄賞を受賞した恐山の禅僧(恐山菩提寺院代)、南直哉氏による「恐山」の話。
 恐山は「霊が降りてくる場所」としてアピールしてきたわけではない。しかし「霊場」として1200年も続いてきた。それはなぜなのか、南氏は『恐山 死者のいる場所』の中で2つのエピソードを読者に示している。少し長くなるが、以下、そのまま引用してみよう。

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 あるときのこと、いや、正確な日付を覚えています。2008年の5月3日のことでした。なぜこんなに詳しく覚えているかというと、私の誕生日が5月2日だからです。だからよく覚えている。5月3日、ゴールデンウイークのど真ん中で、参拝客が全国から集まり、境内は人で溢れていました。

 それも午後3時を過ぎると、ご参拝の人も急速に減り、閉山1時間前の午後5時を過ぎるとまばらになって、ほとんどいなくなります。その時間に、70歳過ぎと思われるご夫婦が大きなダンボールを抱えて入山し、「供養をしたい」と受付を訪ねてきました。
 午後の供養は2時で終わりです。「申しわけないですね。本日の法要は終わりなので、明日の朝でもよろしいですか」と伝えると、「ああ、それは残念です。明日申し込んでおきますから、よろしくお願いします。これ、お供えなんで置いておきたいんですけれども……」とダンボールをこちらに渡してきました。「それは構いませんが、中身をあらためさせてもらえますか」とお願いして、開封した。出てきたのは、それは見事な五月人形でした。一見して高級なものとわかる立派な兜をかぶっていました。
 中には小さな箱もありました。「これもお供えしますか?」と、また中をあらためさせてもらった。私の他に若いお坊さんが2人いたのですが、箱を開けた瞬間、同じタイミングで「アッ」と声を上げそうになったのを飲み込み、「ウッ」と変な声になった。

 そこにあったのは1葉の写真でした。男の赤ん坊が裸で写っていました。赤ん坊の鼻には2本のチューブ、口にも3センチほどのチューブがあって、それは脇腹へとつながっている。どう見ても、ご臨終直後の写真でした。
 3人とも驚いて声が出ません。
「初孫だったんですけどね……」
 旦那さんがたったひとことだけおっしゃった。
 その言葉を聞いて私がまず思ったのは、この写真を誰が撮ったのかということでした。赤ん坊のお母さんがその写真を撮れるはずがない。おばあちゃんもとても無理でしょう。ましてや第三者が撮れるものではない。だとしたら、お父さんか、目の前にいるおじいちゃんしかいない。それも明確な意図があって撮った写真ではなく、撮らずにはいられなくて撮った写真だと感じました。
 見事な五月人形は、初孫の初節句のために購(あがな)ったプレゼントだったのです。
 しかし、その孫はもうこの世にいない。死んでしまってはプレゼントできません。

 では、なぜ老夫婦は、遠く恐山までこれだけの重い荷物を抱えてやって来たのか――。
 この五月人形が、孫そのものだからです。
 25年以上もお坊さんをしていると、生まれてすぐ、あるいは2、3歳で亡くなってしまった子どもの葬儀をつとめることもあります。そのときに我々お坊さんも参列者も、ひょっとしたら親族も、「せっかくこの世に生をうけたのに……。これからいろいろと楽しいこともあっただろうに、何もできないまま……」と、ちらっとは考えます。
 しかしこれは間違いだと私は思う。

 子どもというのは、たとえ生まれた直後に死んだとしても、大きな仕事をひとつだけして死んでいくのです。その仕事というのは、1組の男女をお父さんとお母さんにすること。あるいは2組の男女を、おじいさんとおばあさんにすることです。
 たとえ死んでしまったとしても、残された家族がその存在を忘れるはずがありません。自分を父親に、そして母親にしてくれたことをありがたく思っているのであれば。あるいは、おじいさんやおばあさんにしてくれたことを嬉しく思っているのであれば、その存在を消せるはずがない。
 この老夫婦もそうでしょう。あの立派な兜の五月人形を恐山に供えることで、孫を存在させたいのです。もちろんその姿は目には見えない。触れることもできない。声だって聞こえない。しかし、いる。いる、から持ってくる。そしてこれからもずっと存在させたい。存在させなきゃいけないのです。

『恐山』
南 直哉 著

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死者の遺服

 ある年の10月末、閉山間近のことでした。10月も末になると日が短くなり、境内には足場の悪いところもあるので、閉山の時間が繰り上がります。中にはそのことを知らないで来てしまう人もいます。そのときも中年のあるご婦人が、「ご供養したいんですけれども」と、閉山ギリギリになって訪ねてきました。手には茶色の風呂敷包み。
「ご供養の時間は終わってしまいました。間もなく閉山となります」
「じゃあご供養を明日お願いすることにして、これを納めていきたいんですけれども」
「どうぞ。本堂に納める場所がありますので、そちらに行ってください」

 午後4時半少し前になって、見回りの係が受付に「本堂の奥でうずくまって動かない人がいる」と言って来た。変だなと思って本堂まで見に行った。そこには先ほどのご婦人がうずくまっていました。具合が悪くなったのかと思って近づいてみると、ただならぬ雰囲気。それ以上は近づけません。
 ご婦人は泣いていました。「ウウ……」と声を殺して泣いている。泣いているだけではなく、何か手を動かしている。傍らには先ほど手にしていた風呂敷が広げてあり、そこにはきれいに畳まれた女性物の衣服が積まれていました。それをご婦人は、ひとつ取っては自分の前に持ってきてひろげていました。ひろげてから顔を近づけて泣いている。それからまた畳んで逆側に積んでいった。それを繰り返していました。
 その様子を私は少し距離を取って見ていました。おそらくその服は、ご婦人のお母さんのものでしょう。その服を恐山に納めに来た。当初は風呂敷を開かぬままそっと置いて、帰るつもりだったのではないでしょうか。ところが、いざ置いて帰ろうとしたときに、何かを思って包みをほどいた。そこには懐かしい母の衣服がある。それで帰ることができなくなったのでしょう。

 恐山にはこのように大量の供物が持ち込まれます。特に多いのが衣類です。背広やワンピース、着物、学生服、ベビー服、さらに靴や草履も。2、3年に1度はウエディングドレスが供えられることもあります。古着ばかりではなく、その1割程度は新品です。定期的に新品を購入して持ってくるのでしょう。幼くして子どもを失った親が、生きていれば10歳、20歳と、その年齢に合わせて服を買い換えるのです。
 さらに印象が強いのは、花嫁人形です。紋付袴姿の花婿人形もありました。ほとんどが特注品で、ひとつ2~3万円もするそうです。ケースの中には故人の戒名や写真が入っていることもあります。これは、結婚前の息子や娘を亡くした親が、せめてあの世で結婚させたいと願って供えるのです。

 あるとき、50歳ぐらいのご婦人が実に立派な花嫁人形をお供えしていたので、思わず「立派ですねえ」と話しかけると、彼女は「息子がねえ、母さん、俺、25までには結婚するからな、と言ってたんですよ。生きていれば、それが今年でね。だから、お嫁さんを連れてきたんです」。

 先ほどの五月人形と同じです。
 人形や服を供えることで、何とかその亡くなった人を存在させようとしているのです。このことを私は、単純に「悲しみ」「切なさ」「懐かしさ」のような、気持ちや感情の問題として考えることができません。ここには何か、圧倒的なリアリティがある。それが恐山の凄みでもあるのです。

 ***

 恐山にある美しい湖には、参拝にきた人たちにより風車や花束、ロウソク、線香が立てられている。ここを訪れた人たちは、それぞれ湖に向かって、懐かしい人の名前を呼ぶのだという。
「お母さーん!」
「お父さーん!」
「タカヒロー!」
 湖の向こうで、本当に誰かが聞いていると思っているわけではない。それでも叫ばずにいられなくなる。南氏が恐山を訪れた人にこの話をすると、みんな「気持ちはわかります」というのだという。
「この『気持ちはよくわかる』というところが大事なんです」と南氏は語っている。

デイリー新潮編集部