Nスペ「祖父が見た戦場」のここがおかしい! 受信料は小野文恵アナと母のため?

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疑問だらけのロケと編集

 疑問は他に幾つもある。

 小野アナの祖父は1944年6月にマニラに上陸。その後、バギオを経てカワヤンへと転戦し、公式記録ではツマウイニで戦死となっていた。

 祖父の足跡を追って、小野母子はカワヤン空港に降り立つ。ところが編集では、小野アナ1人のフィリピン行が、マニラからバギオにかけて行われる。この間、母の姿は全くない。

 そしてバギオからカワヤンへの行程で、突然母が登場する。むろん他の遺族たちは全く登場することはない。

 つまりロケおよび編集の仕方を見ると、実際にあった「遺族たちの調査」を追う中で事実を発掘するドキュメンタリーではなく、作り手の都合で“祖父の物語”が作られているのだ。

 フィリピンや元日本兵のインタビューも、気になる。
 貴重な証言をしてもらっているのに、聞いている小野アナの顔のアップが何度も映される。他にも一般住民が虐殺された場所や日本兵が敗走した山中でも、彼女が大写しになる。

 明らかにカメラは、歴史的事実より小野アナの情緒を狙っている。いつからNHKのドキュメンタリーは、こんなに安っぽい演出を重視するようになったのか。

語るに落ちる構成

 番組が描いた“祖父と20万人の最期”は、基本的には事実の羅列だけだった。これだけではマズいと考えたのか、番組の最後はさらに不可解なシーンが続く。

「旅の最後に私は1人、マニラに戻りました。どうしても知りたいことがあったから」という小野アナのコメント以降だ。

 そもそも1人でマニラに戻ったら、母親はどうするんだろうか。言葉も行動も不自由な77歳だ。置いてきぼりはありえない。番組には一度も登場しない「遺族たちの調査団」を匂わせたつもりだろうか。

 次に、10万もの市民が亡くなったマニラ市街戦。
 フィリピン住民が抱いた日本兵の印象を聞くべく、当時13歳だった老女へのインタビューが行われた。日本兵による性暴力の目撃者だ。

「私は過去を乗り越え、いま別の人生を生きています。私は日本を許しました。でも絶対に忘れません。二度と繰り返してはならないからです」

 出会ってすぐに、こんな重い言葉がポンポン出てくるロケって何なのか。この重さに説得力を付与するための取材と編集こそ、NHKの戦争特集に求められる姿勢だろう。

 さらに愛知県三ヶ根山での慰霊祭。参加者が高齢化したために、今年4月が最後だという。そして後日撮影したと思われる、小野アナが一人で訪ねたシーンが続く。

「もし誰かのおじいちゃんが、まだ生きているなら、会いに行って話を聞きたい。ささやかなことですが、そういうことがしたい」

 これが小野アナの最後の発言で、ラストコメントは「あなたは、自分のおじいさんのことを知っていますか」だった。

 孫の立場から2世代前の人たちが体験した戦争を掘り起こす――。
こんな提案に辻褄を合わせるように、老女のインタビューや三ヶ根山の慰霊祭が組みこまれている。被害者としての戦争を描くだけでは格好つかないので、加害者の立場も押さえておく。さらに戦争を直接体験した世代や、その子の世代がいなくなっていくので、「孫の世代が戦争を語り継ぐことが大切」というメッセージを込めるべく、帳尻合わせのような構成になっているだけだ。

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