見せしめ逮捕、“シーソーの拷問”で自供強要… 毛沢東暗殺謀議で処刑された「日本人スパイ」娘の告白

中国週刊新潮 2018年7月19日号掲載

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「毛沢東暗殺謀議」で処刑された「日本人スパイ」娘の告白――相馬勝(2/3)

 戦後の混乱期の1951(昭和26)年、毛沢東の暗殺を企てたとして処刑された日本人がいた。山口隆一氏、享年46。ジャーナリストの相馬勝氏が、齢81になる実娘・撫子さんに取材し、真相に迫った。

 当時、山口氏は、アメリカ軍の諜報機関である戦略情報局(OSS)に、中国の政治経済、社会、あるいは共産党の動きなどについての英語レポートを送る仕事をしていた。それは「新聞情報程度のもの」(撫子さん)であったが、これが運命を変える。中国側は山口氏が送った国際郵便の中に“天安門楼上にいる毛沢東らを迫撃砲で狙おうとした図が入っていた”と、山口氏や周辺にいた人々を次々に逮捕していった。

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――中国側の裁判記録などによると、山口氏は北京在住のイタリア人男性、アントニオ・リヴァ氏を含むドイツ人、フランス人、中国人6人と共謀して、50年10月1日の国慶節(建国記念日)に、北京中心部の天安門楼上で演説する毛沢東ら最高指導部を迫撃砲で暗殺する計画を立てたとされている。

 陰謀を事前に察知した中国人民解放軍や公安部(警察)が山口氏らを「アメリカのスパイ」として割り出し、同年9月、彼らの自宅などに踏み込み、一網打尽に逮捕したというのだ。

 しかし、こんな大胆な殺害計画が本当にありえるのだろうか。当時から関係者の間では荒唐無稽と指摘されていた。

 後の62年、「中央公論」誌上で、戦後、中国から引き揚げた実業家の長谷川春雄氏が矛盾点を詳(つまび)らかにしている。

 それによれば、共産党政権の成立後、山口氏は東京の貿易会社「日洲産業」の北京代理人となっていた。その際、北京市政府から、消防車を輸入するように指示を受けた。その日本製の消防車と、中国の古い消防車の性能を競わせて、よく水が飛ぶ方を採用することになり、山口氏は「日洲産業」に消防車2台の中国への搬送を頼んだ。その後、彼が東京の会社に送った書類の中に、天安門楼上に放物線を描いて届く放水の様子を記した図があった。当時、北京から外国に送られる国際郵便は事前にチェックされ、中身は検閲されていた。中国の警察によって、その図が迫撃砲の弾道と勘違いされ、あろうことか、毛沢東暗殺の陰謀の動かぬ証拠と決めつけられてしまった――。長谷川氏は、「日洲産業」側への取材を交えてこの事実を明らかにしているのだ。

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