潜水艦「なだしお」の衝突事件から30年 自衛隊が隠していた“ある真実”

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炙り出される疑惑

 ある海運関係者は、大惨事の原因を次のように推測する。

「事故のあった浦賀水道は、世界でも有数の過密航路。当時、1日当たり700隻以上の船が往来していた。しかも南北に航行する船と、横須賀港に出入りする東西方向の船が交差するため、衝突の危険性は常にあった。信号機のない交差点みたいなものです」

 加えて「自衛隊の船舶は特別」と、こう言う。

「自衛艦は海上衝突予防法で定められた回避船の時でも、民間船が避けるのが当然と思っている。レジャー船なんか蹴散らされていますよ。“おまえらは遊んでいるんだから、自分たちに航路を譲るべきだ”という意識でしょう。近藤さんは、海外の航路が長いから、自衛艦との関係が良く分かっていなかった。逆になだしおは衝突寸前まで、第一富士丸が避けるはず、と思い込んでいたんじゃないかな」

 海難事故の原因究明は、運輸省(現国土交通省)の外局である海難審判庁で行われる。審理は昭和63年10月3日から始まった。新聞記者が語る。

「とにかく、なだしお側の行動に疑問が多すぎた。海上保安庁へ通報したのは事故21分後、という事実も明らかになっており、おかげで巡視艇の現場到着が大幅に遅れた。一方、富士丸の側も、定員44名のところ、48名が乗っていたとか、正確な乗客名簿が作成されていなかったとか、杜撰な点が多々あった」

 しかし、審理で最も注目されたのは、なだしおの航泊日誌の書き替え疑惑だった。

「平成元年11月15日の朝日新聞がスクープしてね。衝突時間を3時38分から40分に書き換えた跡があった、というもの。審理の中で、山下艦長の命令で部下がやったと確認されたが、艦長は“鉛筆の字をペンで清書しただけ”とよく分からない弁明に終始した」

 もっとも、2分遅れたことが、なだしお側にとってどれだけのメリットがあるのかはっきりせず、この問題はうやむやのまま終わっている。

「ただ、あの一件で、なだしお側の証言はあてにならない、組織ぐるみの改竄も平気でやる、と分かった。もっと何か隠してあるんじゃないか、と疑いの目が向けられた」

 なだしお事故の裏側を取材していくと、ある重大な疑惑に突き当たる。それは書類の改竄など比較にならない、衝突の原因となった疑惑である。

 なだしおの乗務員たちは、事故後、秘かにこう語り合っていた。「あんなことをやろうとしたから事故になったんじゃないか」。

 あんなこと――海難審判では最後まで追及されることはなかったが、実は事故当日、なだしおはトラブルを抱えて航海していた。防衛庁関係者が語る。

「あの日の朝、電気系統にトラブルが発生しています。なだしおの浮上航海の最大戦速は12ノットですが、この最大戦速を出すと、機器に絶縁不良が生じてしまう。結局、原因が分からず、午後、横須賀港への帰投前に再度、最大戦速を試してみることになったのです」

 衝突直前、なだしおの艦内は、息を潜めて最大戦速の試験開始を待っていた。そしてこれこそが海上自衛隊史上、最悪の事故を引き起こす要因となるのである。(文中敬称略)

(下)へつづく

2001年5月3・10日ゴールデンウイーク特大号掲載

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