潜水艦「なだしお」の衝突事件から30年 自衛隊が隠していた“ある真実”

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自衛隊の強硬姿勢

 翌24日、海上自衛隊のトップ、東山収一郎海上幕僚長は記者会見の席上、「第一富士丸が左にカジを切らず、直進していたら事故は避けられた」「山下啓介艦長は最善の措置をとったと思う」と述べ、自衛隊に責任無しの立場を明らかにした。

 この強気の姿勢の背景を、防衛庁関係者が語る。

「昭和46年の雫石事故の二の舞いを避けたかったのです。全日空機と自衛隊戦闘機が激突し、全日空機の乗客・乗員162名全員が亡くなったこの惨事では、自衛隊パイロット二人が助かったこともあり、防衛庁は平謝りに徹した。これで自衛隊イコール悪者のイメージが根付き、隊員の士気も低下した。なだしおでは、主張するところは主張しよう、というわけです」

 現在43歳になる近藤万治が、当時を振り返って語った。

「事故の後は呆然自失というか……海上保安庁で事情聴取を受けているときは夜も昼もなくてね。保安庁にいる鳥羽商船の後輩が来てくれたとき、はっと我に返って、死ぬことを考えましたね。あの窓から飛び降りたら死ねるかな、と。事故の翌日に幕僚長が会見で“事故の原因は第一富士丸にある”と言いましたが、あれだけの人が死んでいるわけだから、自分が悪いというのは分かっています。しかし、全部お前が悪い、という言い方は納得できませんでした。でも、国だから、全部それで終わってしまうのかな、という恐怖心はありました」

 ところがこの後、19歳の女性の証言に、日本中が戦慄する。女性は第一富士丸の接客係だった。彼女は、25日の記者会見でこう言い放ったのだ。

「潜水艦上に人が見えたので“助けて”と何度も叫んだけど、彼らは黙殺したのです」

「私のほかにも何人もが“助けてくれ”と叫びながら、次々と海中に沈んでいった」

「私は何度も“あんたたち、何見てんのよ。どうして助けてくれないの”と叫んだのですが、潜水艦の人たちはただ見ているだけで何もしてくれませんでした。この事故は、自衛隊が一方的に悪いと思う」

 だが、このショッキングな発言に自衛隊側は「ありえない話」と猛反発。後に女性本人も海上保安本部の事情聴取で「思い違いでした」と訂正し、尻すぼみとなっている。

 ところが今回、取材を進めるうちに、こんな驚くべき証言が出てきた。第一富士丸で事務長を務めていた平間惣一郎(53)の話である。

「事故の直後、彼女の“潜水艦は助けてくれなかった”という証言が物議を醸しましたが、私もまったく同じ体験をしているんです。みんな口々に“助けてくれ”と叫んでいましたし、必ず潜水艦は助けてくれると信じていました。私が海上で木の板につかまっているうちに、潜水艦本体の上に隊員が何人も並びましたが、みんなじっと見ているだけで、助けようとする素振りは全然見えませんでした。声を掛けるとか、ロープを投げるといった動きもないのです」

 近藤らを救助したイブ号の足立もこう語る。

「衝突から10分ほど経過していましたが、救助しようという素振りは見られませんでした。近藤船長らを救助した後で、なだしおの甲板がざわざわしてきて人が集まり、オレンジ色のライフジャケットを着込んだりしていたのです」

 もっとも、元潜水艦乗組員はこう言う。

「ハワイのえひめ丸の事故もそうでしたが、潜水艦は洋上の人間を助けるようには出来ていないのです。一応、救命用のゴムボートはありますが、艦内の奥から引き出すのが大変で、緊急の場合は殆ど役に立たない。海へ飛び込もうにも、なだしおのような大型艦になると、ボディが甲板から5メートルくらい張り出しているからとても無理。では艦上を滑り降りればいいかというと、ボディは一見滑らかですが、実際は溶接等でデコボコしているから大怪我をしてしまいます」

 助けなかったのか、助けられなかったのかはともかく、これまでの証言をみる限り、なだしおの隊員に、誰もが納得するだけの強い救助の姿勢が無かったのは事実のようだ。

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