警察官による警察官射殺――前代未聞の事件をどう見るか 元警察キャリアの作家、古野まほろが分析

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 本年4月11日午後7時47分頃、滋賀県の彦根警察署河瀬駅前交番で、19歳の巡査が、上官である41歳の巡査部長を射殺するという、日本警察前代未聞の事件が発生しました。
 本稿では、事案の詳細を他の媒体に譲りつつ、元警察官としての視点から、背景等の分析を試みます。
 筆致が厳しくなったのは、近著『警察官白書』で、警察官・警察組織のポジティブな面を多く綴ったからです。すなわち、「元警察官であるが今は市民」として、批判すべきは批判し、キレイなことばかりを書きはしない――というフェアな姿勢を保つためです。

 さて、現在は被告人である元巡査は、19歳でした。つまり高卒で警察官を拝命しています。この場合、まず警察学校で10カ月の教養を受け、次に3カ月の「職場実習」を受けるため交番等に出ます。そこでは基本、生徒による単独職務執行は避けるので、マンツーマン指導をする上官が必要となります。これは、1階級上の巡査部長であることが多く、「指導部長」とも呼ばれます。元巡査と被害者も、この「生徒と指導部長」の関係にありました。

 しかし、警察の教養プログラムからすると、不思議な点があります。それは、プログラム上、元巡査は「今年1月末から」職場実習を開始しているはずだ、ということです。でも事件発生は「4月11日」。すると、職場実習開始から事件まで、2カ月強のラグがある。
 ではこの2カ月強、元巡査はずっと被害者である指導部長と一緒にいたかというと、実はそうではありません。職場実習においては、「複数の交番」や「刑事課」を経験させるのが常なので、元巡査も既に1箇所めの交番勤務を終えていました。事件を起こしたのは、2箇所めの交番です。元巡査が、その2箇所めの「河瀬駅前交番」に配属されたのが、事件直前の3月26日。被害者である指導部長が同交番に配置されたのも同日。つまり2人が生徒゠指導部長のコンビを組んだのは、事件発生のわずか16日前。まして、交番は3交替制で運営されるため、ふたりが実際に一緒に泊まった回数は、事件の日を入れて「5回目」でした。なお、元巡査はまだ実質的に生徒なので、4月末~5月頭にはこの交番を離任し、再び学校に「戻れます」。
 (1)出会って5回目の24時間勤務。(2)学校に帰る予定で、先も見えている。(3)既に他の交番で勤務もしてきた――そんな元巡査は、射殺の動機として「指導が理不尽」「書類の訂正などを何度もさせられた」「嫌がらせを受けていると感じた」旨を供述しているとのことですが、これは、(1)(2)(3)のような経緯から考えて、極めて不合理・不可解です。

 ゆえに私は本件を「極めて特殊かつ属人的なもの」と考えます。今後、公判廷において、例えば生徒と指導部長の特殊な関係が明らかになるなどすれば全くの別論ですが、現在の報道等を前提とすれば、警察の構造的な問題より、属人的な問題が大きいと感じます。

 その理由の第1は、装備器に係る元巡査の認識のユルさ。警察官は、制服のワイシャツ1枚を電車の網棚に置き忘れただけで始末書もの。それが警察手帳なら懲戒処分。装備品は命綱で、遺失等したときは地域社会に大きな影響を及ぼす――これは警察学校で叩き込まれますし、無線機を無くした同僚がどれだけ悲惨なことになるか等を目撃する機会はままあるので、OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)の機会にも事欠きません。ゆえに警察官が、ミニパトを逃亡の足に用いたとか(事故まで起こした)、実弾入り拳銃を捨てたとなると(制服上着、対刃防護衣、警棒等も捨てた)、それは平均的な警察官が恐怖に打ち震える自殺行為です。いえそれだけでなく、無主物となった拳銃がどれだけ社会に甚大な影響を与えるか、その想像力あるいは最後の良心も欠いている……事件による精神的動揺を割り引いたとしても、警察官として、規格外にあり得ない職業人格です。

 また、私がこれを「特殊かつ属人的な事件」と考える理由の第2は、動機とされている「書類」が、さほど難しいものではないこと。
 一部報道では、その書類とは「注意報告書」だそうです。とすれば、これはほとんどフリーレポート。必要なのは一般の作文技能だけ。もし注意報告書でないとしたところで、交番の警察官が作成するのは遺失物関係書類、被害届、簡易な実況見分調書、いわゆる交通切符といった、先例とテンプレの整ったものばかり。それらの作成訓練は警察学校で嫌というほどしますし、元巡査の場合、既に他の交番で何当務もやってきたことのはず。ゆえに動機が、規格外に理解不可能です。

 しかし、なら警察に問題がなかったかというと、決してそうではない。

 問題の第1は、警察の教養システムが機能していなかったこと。実習中は、かなり詳細な「実習記録表」を、「生徒も指導部長も」24時間勤務ごと作成する義務があります。警察署の管理職である警視・警部には、この記録表をクロスチェックする義務があります。つまり、実習生を交番任せにするということは、あり得ないのです。ここで、元巡査は1箇所めの交番で何度も24時間勤務をしていますから、勤務の感想を含んだ、相当枚数の記録表が残っているはず。すると、記録表もシステムも形骸化していたおそれが大です。

 問題の第2は、学校と現場との齟齬。好景気と少子化を背景に、警察の人材確保は難しくなっています。また、学校は1つの「課」なので、課員である生徒には愛着がありますし、警察組織の貴重な定員を辞めさせたくはありません。他方で、生徒を受け入れる現場は、「学校がキチンと辞めさせないから、現場が不祥事の責めを負う」と考える。両者の「どっちが辞めさせるか」の消極的権限争いあるいはもたれあいが生じ、この谷間で、不適格者の排除が甘くなる。

 問題の第3は、交番勤務の特殊性。24時間勤務を3日に1回、延々繰り返すので、勤務員相互に人間関係の問題があると、その解消は容易ではありません。また、交番は警察署の出城なので、署の管理職の目が届きにくく、時としてこれが大きな問題につながります。

 問題の第4は、職場実習中の生徒に対し、十分な相談受理体制を構築していない可能性。生徒は1つの「課」の課員に過ぎず、しかも新入社員なので、カイシャの基本的仕組が解らない。すると例えば、直属の上官等について悩みがあるとき、どこの所属の誰に相談してよいか分からない。どれだけ秘密が守られるかも分からない。また、体育会系のノリや階級の存在、末端の新人である遠慮等は、物理的にも心理的にも、相談窓口へのアクセスを阻害してしまうでしょう。

(なお、近時の若手を育成する上での諸課題、とりわけジェネレーション・ギャップ、発達加速現象、思春期延長現象等について触れたい点もありますが、それだけで1記事になってしまうので、稿を改めたいと思います)

 以上、この「河瀬事件」は、現時点での報道等を踏まえれば、極めて特殊かつ属人的なものと考えられますが、拳銃使用による二次被害等がなかったのは、結果論に過ぎません。
 そして、二次被害等こそなかったものの、地域住民の方々は、元巡査の身柄が確保されるまで約6時間、使用された拳銃が確保されるまで約11時間、拳銃が「放し飼いになっている」状態にさらされました。すると市民の方々が、「警察官が拳銃を携帯すること自体」に厳しい目を向けても、全く自然です。
 よって警察は、市民の方々が安心できる諸対策を直ちに・確実に講じるべきです。

 それは、先に指摘した問題点を踏まえると、主に「実習生に係る実態把握システムの見直し」「不適格者排除のシステム化・客観化」「適格者を必要数確保できるだけの処遇の改善(関係機関の理解が必要)」「交番管理機能の実質的な強化(何度も提起されている永遠の課題)」「若手警察官が自己の将来・勤務評価・秘密が漏れること等を危惧せず、安心して利用できる相談窓口の整備・周知」等となると考えます。

デイリー新潮編集部

古野まほろ:東京大学法学部卒業。リヨン第三大学法学部修士課程修了。学位授与機構より学士(文学)。警察庁Ⅰ種警察官として警察署、警察本部、海外、警察庁等で勤務し、警察大学校主任教授にて退官。警察官僚として法学書多数。作家として有栖川有栖・綾辻行人両氏に師事、小説多数。

2018年6月18日掲載

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