TBS「安住紳一郎アナ」がラジオ生放送中に嗚咽 故・川田亜子アナへの心情を吐露

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「友人とか家族の別れとはまた違いまして」

(※約4秒沈黙の後、息を吸い、咳払いをする音)

安住:もう1人、あの後輩の話をさせてください。あのね……。

(※約6秒沈黙)

安住:もう1人、あの、川田亜子という女性アナウンサーが私の後輩におりまして……(※やはり震え声)。ちょうどね、あの……。彼女が死んだのが2008年、命日が5月25日なので、ちょうどね、あの、一昨日で亡くなって、丸10年ということなんですよね、早いですよね。そう……。

 ラジオの途中だが、ここで少し、記事として補足させていただく。故・川田亜子アナは1979年生まれ。02年にTBSに入社した。

 安住アナは73年生まれだから、年齢も入社年次も完全な後輩だ。TBSではバラエティに強いアナウンサーとして人気を呼ぶ。しかし、報道指向が強かったこともあり07年に退社。そして情報番組「サタデースクランブル」(テレビ朝日系列)で念願のキャスターを務めた。

 だが、08年5月25日、自宅近くの路上に駐車していた車の中で練炭自殺。遺書も残されていたというが、その理由を巡っては様々な報道が行われた。今でも記事が報じられることも少なくない。

 話を元に戻そう――。安住アナは苦しそうな口調で「友人とか家族の別れとはまた違いまして……」と絞りだすように話し続ける。

「少し突き放してしまった」

安住:後輩のね、別れというのは、ずっと考えて、しまいます。あの、本当に、もう少し何かできたんじゃないかなということを10年、変わらずずっと考えています……。10年経っても、またね、どこかで会えるんじゃないかな、というような感じをずっと持っています。

 さっきね、あの、アナウンス部の部屋の中の話したんですけれども、それも同じ部屋の中の出来事だったんですけど、彼女が、まあちょっと、仕事のやり方が少し強めだったということもあって、少しやっぱり孤立していた時期があってね。

 で、俺もやり方が強引で孤立していた時期があって、当然あの、田中みな実さんと1年半も口きかないみたいな、そういう強引なやり方をしていたんで、当然、周りの同僚からは少しこう浮いちゃったところがあるんだけど。

 その時に、まだ生きていたときの川田が夜中に、俺のところにやって来て、「安住さん、私も孤立してしまいました。安住さん、私と組みませんか」っていうことをね、突然、言ったんですよね。

 ただ俺はその時、川田には、多分、川田は俺に甘えに来ていただけだと思うんだけども、俺は俺で何か、「お前とのやり方は違う。お前は、そのやり方で仕事が煮詰まったんじゃないか」ということで少し突き放してしまった。そこに対しての後悔がもの凄くあって。

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