「具志堅用高」の栄光に傷をつけた「毒入りオレンジ事件」

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国会でも真相究明の声

 一躍、ダーティーなプロモーターとして世間の耳目を集めた金平正紀にその真偽を問うた人物がいた。「ボクシング・マガジン」元編集長の山本茂氏が振り返る。

「渡嘉敷戦で工作をしたのかと訊ねると、彼は“していない”と否定しましてね。試合をやる前から、世界に挑戦出来るランキング入りは決まっていたと言うのです。確かにランキングに入るための明確な規約があるわけではなく、政治力や接待で決まる不透明な部分が多い。でも、それは嘘だったと思う。金平さんは具志堅の引退後、新たなスターを作る必要があった。工作はしたけれど失敗した、それが真実だと思います」

 事実、金平正紀はボクシング界のスターを次々に生み出していた。最たる人物が、51年にWBA世界ライトフライ級王者となって以来、引退までの5年間で13回の連続防衛を果たした具志堅である。未だにこれは日本記録だが、疑惑の矛先は、そんな彼の栄光にまで向かう。例えば53年に行われた王座5度目の防衛戦。13ラウンドで具志堅がKO勝ちを収めたが、協栄ジムは相手選手のパナマ人、ハイメ・リオスが宿泊したホテルのコック長を買収して、ステーキに薬物を混入したことまで報じられたのだ。マスコミは具志堅を“汚れた英雄”と書き立て、引退してもなお彼は否定会見で防戦に追われた。当時を知るボクシング関係者が明かす。

「金平から依頼を受けた実行犯として名前が挙がったのは、都内で薬局を開く傍ら、トレーナーとしてジムにも出入りしていた薬剤師の男性です。54年に行われた具志堅7度目の防衛戦では、べネズエラからの挑戦者、リゴベルト・マルカーノに薬物入りのブドウを差し入れた。挑戦者は7ラウンドでKO負けしたが、それは薬物のせいで倦怠感に襲われたためと言われています。後にこの薬剤師の男性は、“自らが望む試合を観たかった。神の手のようにリングを支配したかった”と、動機を周囲に語ったのです」

 見えざる手で試合を我が物にしようとした思惑は、国会でも糾弾される。野党が時の法務大臣や警察庁幹部に対して、捜査を求める異例の質問を行うなど社会問題にまで発展。業界を束ねる日本ボクシングコミッションは、「限りなくクロに近いグレー」という判定を下し、金平正紀のライセンス無期限停止処分を決める。

「親父は政治家になるという夢があったのですが、この事件で潰えました。けれど、人を喜ばすことには熱心で、ボクシング寄席という催しでは、オレンジに注射針が刺さった図柄の羽織を着るなど、自らをシャレにする一面もあった。処分から7年経って復帰した後は、海老原博幸、鬼塚勝也、勇利アルバチャコフなどのチャンピオンを育て上げました」(金平桂一郎会長)

 ダイヤモンドの原石を見つけて王者にまで磨き上げる執念と実行力は、確かに桁外れ。疑惑が“真実”なら、それは彼の執念が暴走した結果だったに違いない。

 ちなみに「孫子の兵法」は戦場へ向かう心得をこう教える。〈兵は詭道(きどう)なり〉――。戦とは相手を騙すこと。勝つためには何をしても良い。もっとも金平正紀の書斎にこの兵法書があったかどうかは定かではない。

週刊新潮 2016年8月23日号別冊「輝ける20世紀」探訪掲載

ワイド特集「『世紀の事件』の活断層」より

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