「山辺節子」判決手記 スナックママから歌人、そして会社社長…男たちを手玉に取った“超女子力”

国内 社会 週刊新潮 2018年4月26日号掲載

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歌人としてデビュー

 その“新たなシナリオ”とは「歌人としてデビューする」というもので、写真と和歌を組み合わせた写歌集を出版した。

〈ペンネーム原菜つ子。彼の財力によっていろんな形で販売促進の宣伝を行なった。歌人生活というイメージビデオ作成、週刊誌見開き2ページのコマーシャル、地元書店入り口平積み販売、デパートでは原菜つ子の世界と銘打ってフェアーとサイン会開催〉

 冗談のような話だが、彼女の足跡は地元紙にしっかりと刻まれていた。

【熊本市で原菜つ子短歌展】

 そんな見出しの記事が掲載されたのは、98年5月21日付の熊本日日新聞の朝刊である。

【原菜つ子短歌展 20日、手取本町の鶴屋で始まった。26日まで。原さん(43)=水前寺=は熊本市生まれ。独学で和歌を始め、5月、写真と歌を組み合わせた写歌集「別れ際」(郁朋社)を出版した】

 手記に彼女はこう記している。

〈生き物と私の新しいシナリオは成功した。達成感に酔った。彼は私の所へ戻って来た。しかし彼とはここで終る。目的を達成したのだから。生き物と私は次なる大舞台へとシナリオを書き進める。次なるステージは会社社長になること〉

 クラブのママ、歌人、そして会社社長。何ともめまぐるしいことだが、彼女はまたしても支援者を得て、会社社長になるという目的をあっさり達成してしまう。

〈46才になっていた。生き物と寄りそい人生の全てを共に生きていた。この異常さに気付くことなく、シナリオは続いていく。金はいつも何とかなっていく。必ず誰かが資金を調達してくれる。深く考えることはなかった。だから貯えることなど無縁だ。あればあるだけ使う。財力のある男は無限だと思った〉

 しかし、このあたりを“頂点”として、山辺の数奇な人生は下降線を辿り始める。

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(下)へつづく

判決手記「若いツバメとタイ逃避行 『超女子力オバサン』が拘置所で綴った『だから私は愛される』――山辺節子」より

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