「山辺節子」判決手記 スナックママから歌人、そして会社社長…男たちを手玉に取った“超女子力”

国内 社会 週刊新潮 2018年4月26日号掲載

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男を操る術

 山辺は1955年の3月3日に熊本県益城町で生まれている。父親はバス会社勤務で、母親は専業主婦。一人っ子だった。

 幼い頃から、彼女にはある“能力”が備わっていた。考えずとも、男性に好かれる術が身についていたというのである。

〈先生から叱られると、じいっと相手の目を見てまばたきせず、涙をつうっと一粒流す。ほとんどの先生は許してくれる。男性先生だけに通用する技だ。反比例するように女子や女性からは、どんどん嫌われていく。両親ですら父は私を異常に可愛がりいつも一緒だった。反対に母は、私がある年令にさしかかってからは、私の事が嫌いであったはずだ。少女時代を過ぎたあたりから、母から嫌われていることを自覚した〉

 彼女を溺愛した父は脳出血で49歳の若さで死去。

〈私はひとりになった。20歳だった。婿養子をもらい、母と3人で生活した。でも私の家族はずっと父だけ。だから私はいつもひとり。家族と本心で語ることも心を溶かすこともなかった。今日まで〉

〈誰とも心を交わさなくてもいい。なぜなら私はあの得体の知れない生き物と一緒だから〉

〈生き物無しでは一分たりとも私は、生きられなかったのだから。どんな場所でもどんな時も、誰よりも美しく誰よりも品の良い宝石を指に胸元に光らせ、一番目立っていなければならない。そのうえ、羨望の視線を受けなければならないのだ。嫉妬のささやきや嫌味が聞こえてくると生き物と私の満足度は一気に満たされ幸福感がやってくる〉

 夫との間に1男1女をもうけ、30歳の頃まで専業主婦をした後に離婚。以降、彼女は男を操る術を巧みに使い、次々と「支援者」を得ていく。例えば、ゴルフ練習場で初めて会った40歳くらいの男性を“落とす”場面はこうだ。

〈私が恥らいの笑顔を向けると、それが合図のように男性は、打席の私に、立ち方、クラブの持ち方、バックスイングのとり方、顔の向き方、まるでコーチのように初心者向けの指導をしてくれる。私は無邪気なしぐさでうなずく。これは得意技のひとつだ。たまに真っすぐ飛んだだけで、大げさに拍手してくれる。私はまたここで技を出す。弾むように小さくジャンプして相手の目を見たまま小首をかしげにっこりする。この数分間で彼は私の意のままになると確信する〉

〈生き物と2人で新しいシナリオを考えながら眠りについた。眠りの中でも生き物は、蛇のようにぬるぬると蠢き脳を支配する力を決してゆるめない。新しく創作するシナリオに沿って次々と男性達を思い通りに動かしていった〉

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