順天堂「取り違え」被害者がすべて告白 不倫疑いで両親離婚、母は精神病を患い…

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両親の離婚、母の精神病

 小林さんが覚えてきた違和感は、色も姿も異なるアヒルのひなの群れに放り込まれた白鳥のひなの違和感に近いか、またはそれ以上であったようだ。

「私が生まれたのは1967年1月半ば。母に聞くと、初めて取り違えを疑ったのは、私が小学校に入るときだそうです。当時は小学校に入学するとき血液検査を受けたんですが、うちの両親は2人とも血液型がBなのに私はA。生まれるはずがない。母は出産した順天堂医院に何度も行って“取り違えがあったんじゃないか”と相談したのに、“だったら訴えろ”と、無下に追い返されたといいます」

 以来、悲劇は日増しに拡大していく。

「直後、会社を営んでいた父が家からいなくなりました。私が生まれるはずのない血液型なので、父は母の不倫を疑い、離婚になったと聞きました。以後、母は精神病院への入退院を繰り返し、その間、私は祖父母や親戚の家に預けられっ放しになったんですが、小学3年のとき母が再婚しましてね。やっと普通に暮らせるかと思ったら、新しい父から毎日つらく当たられた。弟にはやさしいのに、なんで私にはこんなに厳しいのか解せなくて、何度も自殺を考えました。いまにして思えば、私は不倫の子。母親の人生が滅茶苦茶になった原因だと思えば、私が憎く思えたのでしょう」

 継父に虐げられる日々は、その後も続いたという。

「小学生のときサッカークラブに入っていたら、継父に“金がかかるから”とやめさせられました。貧しくて、中学に入ると生活費を稼ぐために朝日新聞の配達もしましたよ。高校受験では都立高校に合格したのに、継父から“うちには学費を出す余裕がない”と言われ、行けなかった。仕方なく実家近くに家賃1万8000円のアパートを借りて、食品工場に就職しました。母が時々きてご飯を作ってくれましたが苦しかった。それからしばらく職を転々としてから定時制高校に入り、ラーメン屋や鉄工所で働きながら卒業しました」

 その後、小さな会社を自身で営み、20代のうちに結婚するが、そのころから違和感が強まったという。

「母と離婚した父に結婚を報告しようとしたら、“会いたくない”と拒まれて疑問を感じてね。同じころ祖母から“あんたはこんな苦労する必要なかったのに”、親戚からは“(両親は)あなたの血液検査が原因で離婚したんだよ”と言われて、どんどん疑問がふくらみました。考えてみれば、私は顔も性格も母に全然似ていない。母に“本当に俺はおかあさんの子?”と聞いてみましたが、“橋の下で拾ってきたのよ”とはぐらかされましてね」

 そんな母親が、小林さんにようやく疑念を打ち明けるまでには、さらに20年ほどを要したのだ。

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