13名の命を奪った「地下鉄サリン事件」実行犯たちの今

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

死刑と無期懲役の間

 同じサリン散布の実行犯でも、残りの4名は、生死が分かれた。

 千代田線を担当し、2名を殺めた林郁夫は無期懲役。

 一方、日比谷線で1人殺害の豊田亨、丸ノ内線で「1人」の広瀬健一、同じ丸ノ内線でも「死者ゼロ」の横山真人には、いずれも死刑判決が下されたのである。

 これは、彼ら散布役それぞれが全体で13名を殺害した地下鉄サリン事件そのものの共謀共同正犯、つまり、一体の犯罪を犯した者と認定されたため。

 だが、その中で林郁夫は、地下鉄サリン事件をいち早く自供した。彼の減刑は、自首し、事件の解明に尽力したという“功績”が認められたという一点に尽きる。しかし、2名を殺めた林が一命をとりとめたのに対し、死者ゼロの横山が死刑――。言いようのない後味の悪さが残るのは確かである。

 豊田、広瀬、横山の3名はいずれも「科学技術省」の所属で、理系エリートだ。

 豊田は1968年、兵庫県の出身。幼いころから秀才で知られ、東大に現役合格。「ノーベル賞を取る」と周囲に宣言。理学部で物理学を専攻し、大学院に進んだが、中退して出家した。

 広瀬は1964年、東京都の出身。彼も優等生として知られ、早大の理工学部で応用物理学を専攻。やはり大学院に進んだものの、オウムに出会い、中退、出家した。

 横山は1963年、神奈川県生まれ。地元にある東海大学で物理学を専攻し、電子部品メーカーに就職したが、退職して出家した。

「とにかくマジメな3人でした」

 とは、前出の早坂氏。

「豊田さんは“約束したこと、決めたことは絶対にやる”というのがポリシーの人でしたし、横山さんは超が付くほどマジメだった。まだ広瀬さんに話しかければ多少は愛想笑いをしてくれるけれど、横山さんはまったく、というくらい」

 オウムの「車両省大臣」だった野田成人氏は、このうちの豊田に出家を勧めた張本人である。

「私は豊田の1年先輩で、高校も大学も一緒。入信は彼が早かったのですが、出家は私が先でした。麻原から命を受け、私と井上で豊田の家に行き、3~4時間も説得した。出家を親に言えない、という彼に“旅に出たことにすればよい”などと言って……。実は、豊田のお父さんは母校の体育教師で、私も面識があった。事件後、拘置所でたまたまお会いして、声を掛けたのですが、そそくさと立ち去ってしまわれた。本当に申し訳のないことをしてしまいました」

次ページ:末期のオウムの焦り

前へ 1 2 3 4 5 次へ

[3/5ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。