麻原に“オシメを外せ!”と言ってやる――「オウム死刑囚」2人の科学者

社会週刊新潮 2018年4月5日号掲載

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“オシメを外せ!”

 共に2011年、死刑が確定。

 その後、遠藤は外部に対し、沈黙を守っている。

 作家の大石圭氏は、もともと実家が土谷と隣同士だったこともあり、死刑確定後の一時期、交流を持った。

 大石氏が言う。

「土谷君はお母さんに拒絶されていた。その中立ちをしてほしいと頼まれました。しかし私はお母さんを説得できず、本人もハガキを書いたのですが、返事は来なくて諦めたそうです。接見ではいつも取り留めのない話で、よくオウムの話題にもなりました。土谷君はサリンを作りたくなかったそうで、“遠藤が無能だから、失敗したから、サリンを作らされてしまった”と。自分の死刑が確定した時、たまたま遠藤とすれ違ったとか。その時の遠藤の様子が実に嬉しそうだった、とも言っていました」

 麻原に対しての怒りもすさまじいものがあるという。

「麻原を詐病だと決めつけていました。本当は話せるのに話していない、と。もし会えるのであれば会いに行き、“立ち上がれ! オシメを外せ!”と言ってやる、と。ものすごい怒りがこもっていました」

 土谷は、死刑確定前に、古くからの知り合いの女性と獄中結婚をしている。

 その妻が言う。

「たまに刑務官の方と揉めて保護房に行くことがあるのですが、私と会う時は、心穏やかです。よくしゃべるし、よく笑う。普段は化学の専門書を読んだり手紙を書いたり。先日も面会に行きましたが、移送のことは知りませんでした。誰それがどこへ行ったよ、と教えてあげると、ああそうなんだ、という反応で。土谷はサリンがあのように使われるとは聞かされていませんでしたが、再審請求もせず、死をもって償う覚悟をしています」

 それぞれの弟子がそれぞれの“事情”で麻原の魔の手に操られ、暴走は歯止めのきかないものになっていった。そして、23年前の3月20日、教団はついにカタストロフを引き起こすのである。

(7)へつづく

短期集中連載「13階段に足をかけた『オウム死刑囚』13人の罪と罰」より

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