教団脱走、麻原を恐喝… 「異質のオウム死刑囚」の欲得と打算

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麻原を恐喝

 坂本事件が起こったのは、1989年11月のことだった。信者の脱会に尽力していた坂本弁護士の排除を麻原が企図。実行したのは、中川と新実、そして岡崎一明、早川紀代秀、端本悟など6名。弁護士を殺めたばかりか、妻・都子(さとこ)さんやまだ1歳だった長男・龍彦ちゃんまで手にかけた、冷酷無比な犯行であった。

 その際、弁護士の首を絞めて絶命させたのが岡崎である。今は名古屋拘置所に移送され、「その日」を待つ身だ。

 ある意味で、岡崎は、他の12名の死刑囚とはまったく異なった存在である。地下鉄サリン事件まで「麻原の弟子」だった彼らと違い、岡崎は坂本事件直後の90年にはオウムを脱走。しかもその時に麻原を恐喝し、大金までせしめているのである。

 1960年、山口県生まれ。高校卒業後、会社勤めをしている時に、オウムと出会って入信。麻原、そして教祖の愛人で「女帝」と呼ばれた石井久子に続いて、3人目の「成就者」となるなど、幹部として活動していた。

 ところが、だ。

 彼は88年、ある席で石井を叱責。それが麻原の耳に入り、遺書を書かされるという罰を受ける。「使い捨てにされる」と危惧した岡崎は、90年、オウムが総選挙に立候補している最中、突如、教団の現金や預金通帳合わせて3億円を持って脱走。これはさすがに奪還されるが、同時に神奈川県警に匿名で龍彦ちゃんの遺体埋葬場所を示した地図を送る。そこから遺体は出なかったものの、これが岡崎の手によるものだと気付いた県警に聴取されるが、否定を続けた。一方で、「ばらすぞ」と麻原を恐喝し、830万円を手にするのである。その後は、郷里で学習塾を経営しながら沈黙を続けた。

 この時点で岡崎が「自首」し、オウムに捜査が入っていれば、後のサリン事件は起こらなかったはず。が、彼が一連の経緯を警察に話し、坂本事件が解明に向かうのは、5年後の95年3月、地下鉄サリン事件が起きた後のことだったのだ。

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