嘱託殺人? 「西部邁」入水を疑う捜査一課 第三者が協力か

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 病院死よりも自裁死を選ぶ。評論家の西部邁氏(78)はそう予告し、1月21日に東京の多摩川で入水して亡くなった。が、警視庁捜査一課は「不審点」を見逃さなかった。協力者が介在しての嘱託殺人、または自殺幇助を疑い、密かに捜査が続けられていたのだ――。

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 誰の身にもいつかは降りかかる死という存在から、多くの人は目を背け、ごまかしながら日々を送っている。しかし、西部邁氏は、冷徹な目で真正面から死を見つめた。さらに驚嘆すべきは、死の恐怖を制御することに挑み、それを成し遂げてしまった点である。

 自裁死という最期を迎えるにあたり、全てが周到に準備されていたことは間違いない。目下、西部氏の死に関しては、いくつかの謎が残されており、それを解明すべく、警視庁の捜査一課が極秘の捜査を行っている。だが、自らの死後、そうした事態が起こることは西部氏にとっては想定内だったのではないか。家族や仕事関係の人に向けたものだけではなく、警察宛ての遺書があったのは、その証左ではなかろうか。

 西部氏が自裁死を遂げた現場は、東急東横線田園調布駅から歩いて20分ほどの多摩川河川敷の川べり。その一帯には野球場やテニスコート、サッカー場などがあり、昼間こそ人の往来があるものの、街灯がないため、夜になると漆黒の闇に包まれる。そんな場所で西部氏の遺体が発見されたのは、1月21日の午前6時40分のことだった。

「私は毎朝、川岸の遊歩道で犬の散歩をしているのですが、あの日は、テニスコートの脇から水辺に降りて行った辺りで中年の男性と女性が何やら話をしているのが目に入った。犬を連れている様子はなく、女性の方はひどく狼狽している。何だろうと思って近付いていくと、ちょうど警察の方が到着し、事件か事故が起こったのだと分かった」(近隣住人)

 現場にいた中年の男女は、西部氏の長女と長男である。西部氏は、遺体となって発見される数時間前、21日の午前0時半まで新宿の行きつけの文壇バーで長女と一緒に酒を飲んでいた。店を出て、新宿三丁目の交差点まで歩いたところで、

「これから会う人がいるから、先に帰りなさい」

 と長女に告げたのが、生前最後の姿に。そして、以前から自身の「死に場所」と口にすることがあった多摩川河川敷で、遺体となって発見されたのである。

「男性(西部氏の長男)は、狼狽する女性(西部氏の長女)に対して“こっちを見るな! 向こうをむいておきなさい!”と大声で言いながら遺体を引き揚げていました。女性は遺体が浮かぶ川の方向を直視できない様子でしたね」

 と、先の近隣住人。

「遺体が岸に揚がると、男性はすぐに駆け寄った後、女性の方に歩いて行き、しばらくしてからようやく女性も遺体を確認しに行かれたようです。引き揚げられた遺体は“気を付け”をした状態で、上は厚手のセーターのようなものを着ていました。頭に白髪が見えたのでご老人なのだろうとは思いましたが、表情までは見えませんでした」

 何より異様だったのは、遺体が長いロープに繋がれていたことで、

「しかもそれはとても太くて堅そうに見えた。直径3センチらいで、周囲がプラスチックでコーティングされていて、ロープというより、ケーブルやワイヤーに近い。長さは20メートル以上はあったでしょうか」(同)

 捜査関係者が言う。

「西部さんの遺体には、工事現場などで使われるハーネスが装着され、そこから延びたロープは川辺の樹木に繋がれていました。遺体が川に流されないように、との西部さんの配慮によるものでしょう」

 なるほど、発見現場の状況からも、事前準備の周到さが見て取れるのだ。

「ただし、西部さんは末梢神経痛が原因で手が不自由だったので、1人でその準備を行うのは不可能。警視庁は複数の第三者が介在したとみており、目下、嘱託殺人か自殺幇助容疑での立件を目指して捜査を進めています。ちなみに遺族からは当然話を聞いており、娘さんのパソコンまで押収して調べている。遺族の話に矛盾はなく、準備を手伝ったのは遺族以外の第三者ということになる」(同)

 謎は他にもある。

「現場で見つかった複数の遺書は全てワープロで作成されていたのですが、西部さんは生前、ワープロを使わず、最近の著作は口述筆記で娘さんに入力してもらっていた。当然、遺族は遺書の作成を手伝っておらず、ここにも第三者の介在がうかがえるのです」(同)

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