遺構発見の「浅草十二階」 漱石と啄木の“足跡”

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 夏目漱石『坊っちゃん』の一節にも〈野だのようなのは、馬車に乗ろうが、船に乗ろうが、凌雲閣へのろうが、到底寄り付けたものじゃない〉と、登場する浅草・凌雲閣。1890年に竣工した日本初の12階建て、エレベータ付の塔は、一躍東京のシンボルとなったものの、1923年の関東大震災で倒壊、歴史を閉じた。

 その遺構が先日、震災から95年の時を経て、ビル工事現場から発見された。

 地元関係者の話。

「実は『十二階』はどこにあったのか正確な資料もなく、だいたいの所までしか分かっていなかった。でもこれでハッキリしました」

 とはいえ、

「文化財でもなんでもないので、遺構が発掘されたからといって、工事は中止にならず、着々と進むようです。現場を観に来た人の多くは、出土したレンガを持ち帰っていましたよ」(同)

『坊っちゃん』以外にも、凌雲閣の姿は文学作品の中に数多く描かれている。

「すぐに思い浮かぶのは、石川啄木ですね」

 とは、作家の壬生篤氏。

「『一握の砂』には、凌雲閣を詠んだ歌が収められていますし、その周辺、俗に言う“十二階下”に広がっていた銘酒屋(私娼を抱えて営業していた居酒屋)街に、入り浸っていました」(同)

 さらに、

「田山花袋は『浅草十二階の眺望』というエッセイで、最上階から見える風景を絶賛していました。江戸川乱歩の短編『押絵と旅する男』の中では、最上階が重要な舞台として登場します」(同)

 その一方で、

「意外かもしれませんが、あの永井荷風は、随筆で少し触れた程度で、『十二階』をあまり書いてない」(同)

 理由はというと、

「後年、荷風は“あそこは東京の人が行く所じゃない”という旨の発言をしていました。荷風にとって『十二階』は、観光客が行く所という認識だったのでは」(同)

 遺構は再び埋もれるが、文士達の足跡は残り続ける。

週刊新潮 2018年3月1日号掲載

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