「美智子皇后」も婚姻辞退寸前、「明治天皇」が慰謝料7億円 皇室破談秘史

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香淳皇后も大反対

「宮中某重大事件」といえば裕仁親王(後の昭和天皇)と婚約中の久邇宮良子(ながこ)女王(後の香淳皇后)の家系に色覚障害があるとの噂が流された事件だが、「第二の宮中某重大事件」と呼ばれたのが、その兄・久邇宮朝融王(あさあきらおう)の婚約破棄だ。

「朝融王は学習院中等科の時に、2歳下の酒井菊子(旧姫路藩主家の娘)に一目惚れするのです。そこで大正天皇の許可を得て婚約しましたが、その後、彼女に飽きて結婚する気がなくなってしまったのです」(浅見氏)

 もっとも、天皇がいったん認めたものを簡単に取り消すことはできない。そこで朝融王は婚約解消の“工作”に乗り出す。宮中では菊子が義兄といかがわしい関係にあるという噂が流され、朝融王自身も彼女が肺病であるというデマを口にしていた。結局、牧野伸顕宮内大臣まで巻き込んだ末、酒井家からの婚約辞退という形で終息する。

 婚約をめぐる騒動は、戦後も起きている。渦中の人となったのは、他でもない美智子妃だ。

 昭和33(1958)年11月、皇太子(当時)との婚約が発表されると、「ミッチーブーム」が起きる。史上初の平民出身の皇太子妃に世間は大いに沸いた。

 ところが慶事の後ろでは宮中から反対の声があがっていた。それが知られるのは元侍従長・入江相政(すけまさ)の日記が世に出てからだ。

 皇室ジャーナリストの渡辺みどり氏が言う。

「婚約発表の前には東宮(今上天皇)のご縁談について香淳皇后が義妹の秩父宮勢津子妃と高松宮喜久子妃を呼んで“平民から(皇太子妃を娶(めと)る)とは怪しからん”と文句を言ったとあります」

 香淳皇后は、美智子妃の成婚式が6頭立て馬車になったことも気に入らなかったという。

「この他に、松平信子や、あの“白蓮事件”の柳原白蓮も結婚に反対したとあります。松平は学習院の女子同窓会『常磐会』の会長で上流社会の実力者、また白蓮は大正天皇の従妹。日記には、彼女らが右翼を扇動したとありますが、入江は“幸い、たいしたことなく終わった”と胸をなでおろしています」

 正田家に婚姻を辞退させようとする動きもある中で、「敵」だらけの美智子妃の味方は昭和天皇だった。ご成婚が決まった際には、こんな歌を詠んでエールを送っている。

〈喜びは さもあらばあれこの先の からき思ひて いよよはげまな〉

 皇室が秘めてきた「破談」の歴史を知っているからこその一首であろうか。

週刊新潮 2018年2月22日号掲載

特集「ご結婚延期でも誰も言わない 『眞子さま』サヨナラの胸の内」よ

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