日本フィギュアスケート躍進を支えた“新人発掘システム” 城田元強化部長が語る

スポーツ2018年2月11日掲載

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 いよいよ平昌五輪が開幕した。開会式に先立ち9日午前、フィギュアスケートの団体戦が始まり注目を集めている。いまや日本人選手が世界でも大きな存在感を示すフィギュアスケート。日本は2006年トリノ五輪での荒川静香の金メダル獲得を境に、2010年バンクーバー五輪、2014年ソチ五輪と3大会連続でメダルを獲得する強さを保っている。

 そんな日本フィギュアスケートの絶えない躍進の陰には、通称「野辺山合宿」と呼ばれる日本スケート連盟主催の「全国有望新人発掘合宿」の存在がある。荒川静香をはじめ、羽生結弦、浅田真央ら世界のフィギュアスケート史に名を刻む選手を多く輩出した「野辺山合宿」の創設秘話を、元日本スケート連盟フィギュア強化部長・城田憲子氏は著書『日本フィギュアスケート 金メダルへの挑戦』で明かしている。(以下、同書より、抜粋)

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 1992年7月、長野で全国有望新人発掘合宿が始まるまでの私は、「良い選手がいる」と聞けば全国津々浦々のリンクを訪ねるほかありませんでした。なるべくこまめに足を運ぶように努めていましたが、「見に来てください」「じゃ、行きます」と身軽に動くにも、やはり回数に限界があります。きっかけは、そんな私を見ていた連盟の先輩から、「そうやって出かけていくよりも、一つの場所に選手を集めた方が良いんじゃない?」と助言されたことでした。確かに、そうすれば連盟スタッフ全員で選手たちを見ることができ、今よりもずっと効率が良い。それで合宿を開くことに決めたのです。(中略)

 全国有望新人発掘合宿(通称・野辺山合宿)では氷上での練習に加えて、陸上トレーニングやリズム感と表現力のチェック、身体能力を測るテストを実施しました。私としては、この時点においてスケーターとして完成している必要はなく、これからの時代を見据えてジャンプを跳べる可能性を秘めた選手を発掘したいと思っていました。初回こそ年齢制限を設けませんでしたが、のちに9歳から12歳と設定したのには私なりの考えがあります。

 スケーティングの基礎のほとんどは、7歳から10歳くらいで確立されます。この時点でどの程度のジャンプが跳べているかはとても重要な要素です。そして私が合宿に来る選手のどこを重点的に見ていたかと言えば、主に「身体的なバランス感覚」「一つ一つのスケーティングの大きさ」「腰の高さを変えずに滑ることができるかどうか」「将来の成長も見据えた体型」の4点でした。(中略)

 開始当初は参加人数が少なかったこともあってキャンプファイヤーや花火をしたり、学校教育の一環のような活動も行っていました。しかし年数を重ねて参加人数が100人以上にも増えたため、そういった牧歌的な遊びの要素が減ってしまったのは少し残念ではありました。スケート以外の課外活動は無駄なように見えますが、実はそういった時間に選手の性格的な資質が見えることも少なくなかったからです。

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 野辺山合宿の設立を企画をしたのは、伊藤みどりが脚光を浴びたアルベールビル五輪よりも1年以上前だったという。しかし城田氏は当時を振り返り、「強国アメリカが、アルベールビルにクリスティー・ヤマグチ、ナンシー・ケリガン、トーニャ・ハーディングといったメダル候補を3人も送りこみ、見事ヤマグチが金メダルを射止めた現実を目の当たりにして、世界で戦える選手を何人も育てなくてはいけない、そしていずれはオリンピック最大の出場枠・3枠を勝ち取り、1本ではなく『3本の矢』となって挑まなければ、オリンピックを制することはできない──、その思いはより強まっていました」と語る。

 合宿創設から25年。城田氏の思いが現実のものとなり、躍進を続ける現在の日本フィギュアスケート界。「五輪以上に厳しい」とも言われる国内の代表争いを勝ち抜き、平昌五輪に辿り着いた選手たちの実力がいかんなく発揮されることを祈りたい。

デイリー新潮編集部