「反安倍」とは、対立軸なき時代の「病」である―― 山口真由氏が解説

オピニオン新潮45 2018年2月号掲載

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 リベラルのお株を奪う政策を推し進める安倍政権。対立軸の喪失が「病」を産んだ――。この国の抱える病について、ニューヨーク州弁護士の山口真由氏が解説する。(以下、「新潮45」2018年2月号 【特集「反安倍」病につける薬】「対立軸なき時代の『病』」(山口真由・著)より転載。)

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 近年、これほど評価が割れる首相がいただろうか。安倍晋三総理は、国民の称賛と嫌悪をその一身に集めている。

 官房長官時代に記した『美しい国へ』(文藝春秋・2006年)で、彼が明かした原体験は有名だ。安保闘争の最中に母方の祖父・岸信介のもとを訪れた幼い日の晋三は、邸宅を取り囲むデモ隊から湧き上がるシュプレヒコールに合わせ、「アンポ ハンタイ」とお道化てみせた。「アンポ、サンセイ、といいなさい」と顔色を変えた父・晋太郎とは対照的に、祖父は怒るどころか鷹揚に笑ってくれた。

 東京に育った晋三少年にとって、政治活動のために地元の山口に頻繁に帰る父は遠い存在だった。「私は物心ついてから父に遊んでもらったという記憶がほとんどない。ただ、父が3回目の選挙で落選して東京にもどった当時、小学校2年生だった私が父にせがんでキャッチボールの相手をしてもらったのが唯一の思い出といえる」と綴られた父の追悼記事からは、その不在がにじむ。寂しさを埋めたのは、孫を溺愛した優しい祖父の存在だった。

『美しい国へ』の中には、安保条約の破棄を説く教師に、その経済的な側面を問い質して沈黙に追い込んだとする、高校時代の晋三の有名なエピソードが載っている。そう聞くと筋金入りの保守少年のようだが、そうでもないらしい。安保条約の「条文がどんなことになっているのか、ほとんど知らなかった」と自ら明かす学生時代の彼は、実際、憲法も安保もほとんど勉強しなかったと見える(芦部信喜について「存じ上げておりません」と国会で答弁したが、それは「憲法の教科書なんて開いたことすらない」ことと同義だというのが、法律家の所感であろう)。一方で、富と権力をひけらかしたとか、女遊びが派手だったとか、そういう浮いた噂もない。高校時代に「地理研究部」という、どことなくオタクっぽさが漂う部活に所属した彼は、どこにでもいる「普通のいい子」だったと聞いても頷ける。

 ところが、そんな彼を「保守派」は放っておかない。日本には昔から「貴種」という考え方がある。大きな戦の場合、武士の大将は常に「清和源氏」か「桓武平氏」かいずれかの血を引くものでなくてはならなかった。現代でも、リコールの謝罪会見で直系の豊田章男社長が深々と頭を下げるから、なんとなく「仕方ない」という雰囲気にもなる。財務省稀代の大物次官勝栄二郎は、勝海舟につらなるとされた血筋の誤解を、あえて正さずにそのままにしておいた。個人の能力を重視するアメリカ仕込みのリーダーシップ論でははかれない血筋の妙がこの国にはある。

極めて「リベラル」

 安保闘争に先立つ1955年、岸が同席した会談の席で、「不平等条約」の改変を迫る重光葵外相に、「日本は米国を守ることができるのか。例えば、グアムが攻撃された場合はどうか」とダレス米国務長官は切り返したという。この屈辱的な経験から、米国との対等な関係が岸の悲願となった。支持率の急落をものともせず、不退転の覚悟で安保改定を果たした祖父。そのDNAを持った安倍晋三という貴種を「保守」が見逃すはずがなかった。

 他方、母方の祖父を敬愛する安倍総理が父方の系譜について口にすることは少ない。孫の誕生を待たずに世を去った父方の祖父・安倍寛は戦争に反対し、大政翼賛会の応援を受けずに選挙に当選した数少ない闘志の一人だった。彼を「反骨の士」と持ち上げるリベラルは、安倍総理にもそのDNAが流れているはずと口惜しむ。右も左も血統、血統なのだ。

 さて、憎き「保守」の御曹司に対するリベラルからの批判は、どこか本質からずれる。安倍総理は、国会で答弁中だった辻元清美議員に対して「早く質問しろよ!」、また、玉木雄一郎議員が政治とカネの問題を問い質している際に「日教組、どうするの!」と野次を飛ばした。これを「首相の品格」問題として槍玉に挙げたリベラルは、「断定口調」や「感情語」をも断罪する。そして、森友・加計問題に延々と国会審議の時間を使う。ところが、安全保障関係を除き、政策分野について「左」サイドからさほどの批判はない。

 これは不思議な話でもなんでもない。とりわけ経済政策において、安倍総理は極めて「リベラル」なのだから。安倍内閣は、先頭に立って「女性活躍」を押し進めた。さらに、霞が関自ら範を示すべきとして、2013年6月、決まりかけていた厚生労働省事務次官人事に横槍まで入れた。結果、誕生した村木厚子事務次官――検察官による証拠の捏造を耐え抜いた「悲劇のヒロイン」は、「女性活躍」の旗頭とするにはうってつけだった(もっとも、彼女は就任翌年の国会提出法案を巡る大チョンボで訓告処分を受けた。「うちわ」や「網タイツ」で記憶される大臣を含め、安倍総理が重用する女性はどこか微妙である)。 

 さらに、いま最も労働者に寄り添っているのも安倍総理その人なのではないか。

 13年以降、安倍内閣は政労使会議などで、企業の増益分を労働者の賃金に回させるべく、相当に突っ込んだ発言を繰り返した。そして、「所得拡大促進税制」という、企業の賃上げ分の一部を税金によって補填するかのような、極めて特異な税制を導入する。安倍総理の働く民への肩入れは、すさまじいばかり。労働者の味方を標榜するリベラルの闘士だって、ここまでの覚悟はあるまい。お株を奪われた悔しさもあるのか、朝日新聞はこれを「官製春闘」と批判せざるを得ない。

 市場経済への政府の介入を厭うこの手の批判は、アメリカならば「保守」の十八番なのだが……。

称賛と嫌悪を一身に集める

 つくづく思うのは、日本の経済政策に左右の対立なんてものはない、ということだ。

 先の選挙でも「幼児教育の無償化」をはじめとして、どの政党も同じ看板を掲げた。自民党による論点つぶしだとの批判もあるが、同じ保守でも「小さな政府」を党是とするアメリカ共和党ならば、「教育の無償化」なんて、たとえ選挙のためであろうと口が裂けても言えまい。つまり、「大きな政府」「小さな政府」と同じような大きな対立軸は、日本の経済政策には見いだせないのだ。

「タカ派」と「ハト派」に代表される日本におけるイデオロギー対立は、実は極めて局所的である。

 戦争と平和をめぐる論点の重要性を否定するつもりは毛頭ない。とはいっても、戦後生まれの我々のような世代には、この論点は生活実感を欠く。安倍総理だって戦後生まれなのだから、それは大差ないのかもしれない。戦時中を生き抜いた方々は、それを「平和ボケ」だと責め、この風潮を「あの大戦前夜と同じ雰囲気」と危機感を募らせる。謹んで拝聴したい。可能な限り学び取りたい。だけど、どうしたって戦争を経験していない世代には、「改憲」も「護憲」も肌身に馴染まない空中戦に過ぎないのだ。憎むという強い感情は、抽象的な対象には向きがたい。血肉を持って目の前に立ち現れる対象なくして、我々は憎むことも、愛でることもできない。

 だから「反安倍」なのだと、私は思う。安倍総理にとっての「保守」とは、つまるところ祖父への思慕なのではないか。彼がいう「開かれた保守」とは、安保改定の後に刺されて大けがを負ったものの、見舞いに訪れた孫とベランダの鳩に餌をやった、悠々として優しい祖父なのだろう。そして、我々にとっての「保守」とは、そんな祖父のDNAを受けつぐ安倍総理その人なのだ。彼は「保守」の生きた象徴となった。だから、今、称賛と嫌悪を一身に集める。戦後の世代にとっては、「戦争反対」と唱えて行進するよりも、「安倍を許さない」と叫ぶ方がずっと具体的なのだから。

 小渕優子氏にだって与えられた「選挙での勝利によるみそぎ」が、森友・加計問題では許されないようだ。北朝鮮がミサイルを撃とうと、野党議員は、金正恩より加計孝太郎氏をネタにするのが好き。今や、自民党の存在感は薄い。内閣もしかり。右と左の熱視線の先にいるのは安倍総理ただ一人。

「反安倍」というのは、戦争が遠い世界の出来事に成り果て、かといって他に明確な対立軸を持たないこの国の「病」なのだと思う。

 集団的安全保障、特定秘密保護法、共謀罪――漢字ばかり並ぶ小難しい議論に立ち入るよりも、いまや保守の象徴となった安倍総理を感情的に攻撃した方が容易いし、理解されやすい。だが、そういう安易な「反安倍」論調は、先の選挙で限界を露呈した。アベノミクスや憲法改正を問う政権に、「もりかけ問題」という次元の異なる反論を吹っ掛けても、大人と子供の喧嘩にしか見えてこなかったのである。「反安倍」という怨念を理論に昇華できない限り、これはやはり「病」で終わってしまうだろう。

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「新潮45」2018年2月号の【特集「反安倍」病につける薬】では、その他「『朝日』『NHK』の偏向報道を糾す(櫻井よしこ)、「『安倍嫌い』」を解剖する」(古谷経衡)、「安倍政権は『バカ発見器』である」(阿比留瑠比)「朝日新聞と岸家、積年の怨み」(八幡和郎)などを掲載。

山口真由(やまぐち・まゆ) ニューヨーク州弁護士。1983年生まれ。東大法学部在学中に司法試験と国家公務員I種に合格。財務官僚を経て、ハーバード大学ロースクールに留学し、ニューヨーク州弁護士資格を取得。近著に『リベラルという病』。