「安倍嫌い」を解剖する 古谷経衡氏の解説

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 敗北を重ねても懲りない「反安倍」勢力。安倍嫌いを標榜する人々の病理に、文筆家の古谷経衡氏が迫る。(以下、「新潮45」2018年2月号 【特集「反安倍」病につける薬】「『安倍嫌い』」を解剖する」(古谷経衡)より転載。)

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 2017年10月に行われた衆院選挙は、反安倍勢力にとっては3度目の正直であった。1度目は14年衆院選、2度目は16年参院選である。第2次安倍政権が長期安定政権となって久しい中、政権運営を問う過去2つの国政選挙で、反安倍勢力は無残な敗北に敗北を重ねてきた。ことに16年参院選は、参院選の特性上、多数党が大勝しにくい構造にも拘らず改憲勢力の議席に3分の2超を許すこととなり、もっとも手酷い敗退であった。この16年参院選と17年衆院選の間に起こったのが「モリカケ問題」である。この2つの「事件」にもはや解説の余地はないが、反安倍勢力は「モリカケ問題」が安倍政権失陥の一里塚として極めて大きな期待を抱いた。実際、「モリカケ問題」が世論を沸騰させると、内閣支持率は明らかに下降トレンドになった。このような中で解散総選挙を行えば、自民党の大敗は大いにありうる。しかし定数が10減少したにも拘わらず、自民党の議席は変わらなかった。反安倍勢力が期待した3度目の正直は見事に裏切られたのだ。

 何故安倍自民は強いか。安倍自民は小泉自民と違い、ゼロ年代に切り捨てた守旧勢力(郵政、農協、土建)等の疲弊職能を再度取り込み、かつ都市部の無党派への訴求を維持しつつ、公明党の組織票を利用するという、自民党の歴史の中でも稀にみるトライアングル構造の上に成り立っているからだ。事実、16年参院選挙での自民党全国比例1位当選は、小泉時代に切り捨てられたはずの全特(郵便局)推薦候補(疲弊職能)であり、2位は保守系ジャーナリスト(無党派)である。巷間言われる日本会議などの中小宗教勢力(約30万票程度)よりも、この三すくみの方がよほど集票に貢献している。反安倍勢力はこの構造が分かっていないから、柔弱な世論調査の数字がそのまま票に反映すると思っているが甘い。ツイッターで「アベNO!」の怪気炎を上げるユーザーの多寡と、1票の違いで当落が決まる選挙区情勢は異なる。勝つ要素よりも負ける要素の少ない安倍自民がこの程度でコケる訳がないのは、安倍自民への好き、嫌いではなく選挙のテクニカル上の評価である。

「モリカケ」でも安倍政権への痛打を与えられないことが分かると、反安倍勢力の姿勢はおおむね次の2つに分かれた。ひとつは「モリカケ」の追及それ自体がまだまだ甘く、大メディアの政権忖度と併せ、この「路線」をこのまま維持・強化し、政権攻撃を続けるべきだという「継戦派」。もうひとつは現在の安倍政権への対抗姿勢を見直し、より現実的な対立軸を構築・模索しようという「改革派」の2派である。数としては前者の方が多い。

書類上の反安倍師団

「継戦派」の根底には、「極右のアベを国民が支持しているのは、政権の工作とメディアの忖度が原因である」という基本思想がある。よって有権者が選挙のたびに自民党に投票しているのを「愚民化の進行」と認定し、或いは巨大権力の陰謀と捉える。実際に安倍自民の継続はテクニカル的には上記の3要素に加え、巨視的には消去法的選択と、北朝鮮情勢に代表される国民の安保観の変化が、教条的護憲を空論として倦厭するようになったからに過ぎないのだが、ともあれ「継戦派」は粘り強く政権攻撃を続ければ国民の洗脳とメディアの忖度は徐々に喪失すると考えている。しかし安倍自民の本丸は堅いので、まず周辺人物を重用して攻撃の嚆矢とする。例えば「モリ」の籠池泰典、「カケ」の前川喜平である。だが、前者は逮捕収監中で、後者はやや役者として弱い。この弱さを自覚しているので、今度は安倍と親密なジャーナリストの準強姦もみ消し疑惑を攻撃材料とする。こうなれば総力戦で、反安倍に使えれば、豊中の怪しいネット右翼のプチブルでも元官僚でも何でもよい。

 しかしながらこういった「継戦派」の総力戦は、ロッキード事件やリクルート事件と違って事実関係が不明瞭かつ矮小で、決定打に欠けるから安倍政権の本丸を撃ち抜くには程遠い。「安倍さん、ちょっと説明不足だよね」の感は広がるが、実際の選挙の際には自民党に投票する。矮小な攻撃材料しか持ちえないのに政権に総力戦を挑むところが根本的に間違いである。かつて「ダーティなハト派、クリーンなタカ派」と言われたように、そもそも安倍自民の母体たる清和会自体に金銭スキャンダルが少ないのだろう。ロ事件もリ事件も、田中派・竹下派の「ダーティなハト派」が起こした疑獄だ。清和会は反共右派だが、世襲議員が多く富裕な者が多い。まさに「清和会のプリンス」安倍総理がその典型だ。この政権を、金銭疑惑や利権誘導の筋で倒そうというのがそもそも戦略上間違いなのかもしれない。

 一方、「改革派」は、何度やっても安倍政権が倒れないので戦い方を変えるべきだと自覚しだした反安倍勢力の一部である。彼らにとって衝撃だったのは、民進党の分裂であった。これまで安保法制や特定秘密保護法に反対し、護憲の論陣を張ってきた反安倍の同志が、それらの主張を捨てて次々と小池百合子の希望の党に「大移動」した様は、反安倍という対抗勢力がいかに脆弱であるかを思い知った大事件であった。彼らは、所詮書類上の反安倍師団に過ぎず、何かあれば脱兎を警戒すべき日和見傍観軍だったのである。いたずらに教条的護憲、反アベノミクスを唱えるだけでは政権への攻撃はおろか対抗すら不可能であると悟った彼らは、「箸が転んでもアベのせいにするのは止めるべき」「リベラルも反省すべき点は多々ある」「政権批判が陰謀論に過ぎるのは良くない」と、イエズス会にも似た自己改革、自己批判を口にしだしている。

 だが、致命的なのは自らの問題点を自覚しているものの今後どうするかの方向性は全く見えてこないという点である。立憲民主党が野党第1党になったのは望外の展開だとしても、その勢力は56議席(衆院)で、民進党の最盛期には程遠いし、旧社会党のそれにも及ばない。欠点は認めるが、さりとて代案はない、というのが「改革派」の辛いところだ。選挙になれば頼れるのは旧態依然とした連合・労組と市民団体。17年衆院選挙では立憲民主が共産党支持者の都市型無党派を取り込んだことが明らかになったが、党勢に大きな貢献をしているとは言い難い。「何とかしなきゃ」と自問しつつ何ともできないという、緊縛の状態が続いている。都内の開票センターで枝野代表の様子をリアルタイムで観ていたが、躍進のわりに表情が渋かったのはこの暗雲を織り込んでいたからであろう。

「極右のアベ」は間違い

 反安倍という病は、「極右のアベを国民が支持しているのは異常であり正すべきである」という思想と現実とのギャップの中から生まれてきた病理構造である。しかし「自民党より右」を標榜した右派政党・旧次世代の党(現・日本のこころ)は14年衆院選挙で壊滅した。在野には様々な極右団体やネット右翼団体がいるが、安倍自民が重視しているのはそのような極右勢力ではなく、繰り返すように疲弊職能、大都市部の無党派、公明党組織票の3つである。「極右のアベ」という認識がそもそも間違っている。

 また有権者の大多数は、積極的に安倍政権を支持し、誰に言われるまでもなく自民党の応援演説に日の丸の小旗を持って集まるようなアクティブ層ではない。「自民党の方がよりマシだから」「安倍政権のほうが相対的にまだしも良いから」という理由のみで、投票所でジミン、と書いている微温支持者が圧倒的多数だ。このような事実を認められないから、反安倍という病が発生する。量的緩和は一定程度奏功し、株価は上昇、雇用が拡大しているのは事実である。外交面ではトランプ追従の度が過ぎるものの、特段の失政はないと言える。沖縄政策では強引さと粗雑が目立つが、総じて60点を取り続けている。一度の答案で60点を取るのは難しいことではないが、5年間連続で60点を取るのは至難である。少なくとも投票所に足を運ぶ有権者は、どんどん馬鹿ではなくなっている。ほぼ2年で交代した90年代の自民党政権と、10カ月しか持たなかった非自民連立政権。そして小泉自民以降、ゼロ年代以降も1年で自民、民主(当時)の首班が交代した時代、この国のGDPは中国に抜かれ世界3位になり、国民所得はイタリアと同じであるのにもかかわらず、労働生産性はG7で最低になった。この20年間で、有権者は短命政権と、それが故の政策継続性の無さが、日本の停滞を招いた大きな要因の1つであるといい加減思い知ったのである。

 反安倍という病は、有権者の知的水準を一方的に低いままであると仮定している。進歩主義者を自称する割に、大衆の知的水準や感覚の進歩を否定するのは滑稽である。私は安倍が良いと言っているのではない。事実こうだ、と指摘しているに過ぎない。安倍以外に盤石な宰相や政党が登場するなら、喜んでそちらに投票する。

古谷経衡(ふるや・つねひら)
文筆家。1982年札幌市生まれ。立命館大学文学部史学科(日本史)卒業。ネット保守、若者論などを中心に言論活動を展開。著書に『左翼も右翼もウソばかり』『日本を蝕む「極論」の正体』など。

新潮45 2018年2月号掲載

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