エイズ治療の最前線 「死の病」との戦いはどう進化したか

ライフ週刊新潮 2017年12月14日号掲載

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子作りまで可能になった「エイズ」治療の最前線――菊地正憲(上)

 世界中に掲げられたレッドリボン。12月1日、世界エイズデー恒例の光景である。昨年、2017年はエイズ治療薬が世に出て30年。医療は急速な進化を遂げ、「死の病」は、子作りも出来るまでにコントロール可能な病となった。ジャーナリスト・菊地正憲氏による、治療最前線。

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 10年間の国会議員生活で、質問は200回超、政府に出した質問主意書は、2017年だけでも17件。

 かつて“死の影”を背負っていたその青年は、いま壮年の域に差し掛かり、国会議員として旺盛に活動している。その背中に“暗さ”はまったく感じられない。

「20年以上前は、複数の薬を1日5回も飲んでいました。また、吐き気や下痢、腎臓結石といった副作用にかなり悩まされていましたね。歩くことですら一苦労でした」 

 と振り返るのは、川田龍平・参議院議員(41)。

 川田氏は幼いころに血友病の治療のために使用した非加熱血液製剤によりヒト免疫不全ウイルス(HIV)に感染した。薬害エイズ訴訟で被害者救済のシンボルとなったのは、広く知られている。

「しかし、今では薬が飛躍的に進歩して、1日わずか1回で済みます。副作用もなくなり、逆に体調が良すぎる時などは、出張などで飲み忘れてしまいそうになるぐらいです。実は、妻との間に子供を持とうと一時は不妊治療もしていました。以前では考えられなかったことですよ」

 今は残存するHIVの増加を抑えるというより、その数を懸命に減らしている状態という。血液中の免疫細胞の数は普通の人と変わらないレベルだ。

 もう1人、別の患者の“実感”を聞いてみよう。

 HIV感染者(陽性者)たちで作るNPO法人「日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス」。

 代表を務める高久陽介さん(41)は言う。

「10年前は副作用がほぼ毎日襲ってきて、仕事も手に付かないほどでしたが、今は信じられないほど生活が楽になりました」

 同性愛者の高久さんは2001年1月、都内の保健所での検査で感染が見つかった。当時のパートナーからは、事前に感染者であることが告げられていた。もっとも、「自分が(感染者に)なるという心配はあまりしていなかった」と言うが。

「長く生きられるか、勤めていた会社の人に理解してもらえるか、治療費はどれぐらいか……。いざ感染者になってみると、不安を感じるようになりました」

 服薬を始めて間もなく、吐き気や下痢のほか眩暈、発疹、さらには不眠といった副作用が出た。出勤も辛くなってきたため、「迷惑をかけてはいけない」と、直属の上司に感染を明かした。

「幸い、上司は理解してくれて、体調が良くない時に遅い時間の出社を認めるなどの配慮をしてくれました。でも、特別扱いされているという負い目もあり、同僚の視線が気になりました」

 ところが、そんな生活も、12年に新薬に変えてから一変した。1日2回、計3錠の服薬内容は変わらないものの、副作用がなくなり、免疫細胞の数も正常に戻った。

 今は退社し、「ジャンププラス」の活動に専念する。啓発活動や会報の発行、陽性者からの相談などに忙しい日々を送る。

「HIV陽性者のひとりとして、これからは穏やかに、健康に長生きするのが目標。同年代のほかの人と全く同じなのです」

 と言う。

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