エイズ治療の最前線 「死の病」との戦いはどう進化したか

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平均寿命70歳

 日本のエイズ治療の中核施設である国立国際医療研究センター病院の潟永(がたなが)博之医師は、次のように解説する。

「初期の薬剤開発は、とにかくウイルスの増殖を抑制することに集中していました。HIVは突然変異しやすいため、薬に耐性を持つことがある。簡単に耐性ウイルスが出現しないよう、タイプの違う複数の薬を同時に服用する必要がありました」

「多剤併用療法」という治療法である。その結果、1日に茶碗1杯分と言われるほど、何十錠もの薬を飲む必要があった。それだけ負担が重ければ、「飲み忘れ」や「さぼり」が生まれてくる。すると、薬が効かない耐性ウイルスが出現してくる……。

「これが非常に厄介で、一度現れてしまうと完全な薬効が得られず、本人のウイルス量が抑えられないばかりか、感染者がさらに増えることにもなりかねない。薬はできるだけ飲みやすくした方がよいのです」

 メーカーは必死の開発を続けた。そして、必要な成分を複数配合し、効き目の長い合剤の開発に成功。30年弱をかけて、13年、最少で1日1回1錠の服用で済むようにしたのだ。

「生涯にわたって毎日、必ず服薬してHIVの増殖を抑制することが最重要。製薬メーカーが錠数を減らして飲みやすいものを開発したのです。1つの錠剤に複数の薬が入った合剤になっています。いったん発症しても、適切な服薬治療によって免疫機能が戻る人も多いのです」

 現在の基本の処方は、主力のキードラッグ1つを選び、さらに補助的な2つの薬を選ぶという、3つの薬の組み合わせとなっている。

 薬剤開発の進歩は、患者の負担を軽減した。かつての薬剤に見られたような重篤な副作用も少なくなった。

 これらによって、薬を飲んでさえいれば、エイズを発症させないことが可能になった。今では20歳のHIV感染者の平均余命は、40〜50年ほどまで延びた。つまり、HIVに感染しても、きちんと治療すれば、発症しないまま平均して60〜70歳までは生きられるようになったのである。

 ちなみに、現在、最も耐性ウイルスが出現しにくいと言われているのは、同じく満屋氏の開発した「ダルナビル」と、日本の製薬メーカーが関わった「ドルテグラビル」の2つの薬とか。日本の研究は、まさに世界の最先端をいっているのである。

「国内で患者が相次いで確認されはじめて大騒動になったころから考えれば、隔世の感がありますね」

 と潟永医師は続ける。

「私が20年ほど前にエイズの診療をしていた病院には、眼科がありませんでした。そこで担当していた患者さんが網膜剥離を起こしたのですが、付近の病院で眼の手術をしてもらおうとしたら、どこも診療拒否なのです。仕方がないので、伝(つて)を頼って遠くの病院にその状態の悪い患者さんを連れて行きました。その病院で、他の患者さんの手術が終わった夕方にようやく手術をしてもらった、ということもありました」

 偏見も今以上に強かった時代、患者発見から日が浅い未知のウイルスに対し、医師でさえどう対処してよいか分からなかった。そこから考えれば、治療の進歩は目を見張るべきものがある。

 ***

(下)へつづく

菊地正憲(きくち・まさのり)
1965年北海道生まれ。國學院大学文学部卒業。北海道新聞記者を経て2003年にフリージャーナリストに。徹底した現場取材で政治・経済から歴史、社会現象まで幅広いジャンルの記事を手がける。著書に『速記者たちの国会秘録』など。

週刊新潮 2017年12月14日号掲載

特別読物「『死の病』との戦いはどう進化したか 子作りまで可能になった『エイズ』治療の最前線――菊地正憲(ジャーナリスト)」より

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