「山城新伍」さんは、織田信長みたいな人だった… 「せんだみつお」が語る昭和のスター列伝

芸能2017年12月21日掲載

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せんだみつおが見上げた昭和のスター列伝――山城新伍

 信じる信じないはアナタ次第、“千に三つしか(せんみつ)本当のことを言わない”を芸名とするせんだみつお(70)が、昭和の巨星(スター)たちとの交流エピソードを披露する。今回、取りあげる山城新伍(享年70)とせんだとは、コンビを組んでお下劣コントを展開していた「金曜10時!うわさのチャンネル!!」(1973-79・日テレ系)からの深い仲。当然、下ネタ中心の話になるだろう。と身構えていたのだが、なぜか今日のせんだはいつになくおとなしい。

 57年に第4期ニューフェイスとして東映に入社した山城は、個性派俳優として人気を博す一方、巧みな話術でTVバラエティの世界にも進出。芸能界の大物として一時代を築いた。山城の黄金期といえる80年代に同じ事務所に所属し、その輝くばかりの光、そしてそこにつきまとう影の部分も見てきたせんだは、何を語る――。

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せんだ あの方は京都のお医者さんの息子さんだったんだけど、お医者さんにはならず、役者になる!ってことで東映に入ったんだよね。で、入ってすぐは大部屋俳優だから、まずは「玄関を掃除しろ」とか言われるわけだけど、山城さん、言い返したらしいよ。「俺は玄関を掃除するために東映に入ったんじゃない!」って。

――歯に衣着せぬ発言も多かった方だけに豪快なイメージはありましたけど、それは大部屋俳優時代からだったんですねぇ。

せんだ それと同時に案外合理的な人でもあってね。たとえば、侍の役をやることになったとき、とにかくカツラを付けるのが面倒だから「俺は虚無僧の役でいい!」って言ったらしいんだ。虚無僧だったら笠を被るからカツラをつけなくていいって理由だけで。あと、泣かなきゃいけないシーンのとき、「本当に涙を出すより目薬使って涙を出してお客を泣かせる方が、役者としては上だ」って言ってたな。そういう理屈の人だった。

 振り返ると、すっごい才能があったんだから、あの癇癪さえなければな……と思えてしかたがないんだよ。あの方、基本的には平和主義者でね。うちの子供たちなんかも随分かわいがってもらったし、本当に優しい人なの。でも、ちょっと癇に触ると、誰がいようがどんな場だろうが大喧嘩になるんだ。それで降板して、僕におこぼれが回ってきた作品もあって、それはありがたかったけどね。

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