「山城新伍」さんは、織田信長みたいな人だった… 「せんだみつお」が語る昭和のスター列伝

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

Advertisement

映画の世界を見返してやってる!

――あるいは山城さんの激しさは、もともと無類の映画好きだけに、“俺は今、映画の世界を見返してやってる!”みたいな高揚感や万能感もあったのでは? 

せんだ もしかしたらあったかもね。東映に入ってくすぶってた頃、「白馬童子」(60年に放送されたテレビ時代劇)でポン! とスターになったけど、その頃はテレビの黎明期で、まだまだ映画より下に見られてたから、いろいろ思うところはあったはず。で、その「白馬童子」終了後、任侠映画に出ていくんだけど、五番手ぐらいの役がずっと続いてさ。それはきっと辛かったと思うよ。これに耐えられないから、自分の話芸を活かしてテレビに出てきたところはあったんだろうな。

――山城さんといえば「バブルスター」のCMも話題になりましたよね。松方弘樹さん、梅宮辰夫さん、北大路欣也さん、千葉真一さんと共に出演したわけですが、考えてみればこの中で山城さんだけなんですよね、東映で主役を張っていないのは。

せんだ でも当時はもう、山城さんが親分的な存在だったよ。それはやっぱりテレビを制したからなんだ。この頃はすでに映画は斜陽でテレビが全盛。それこそ時代をまるまる制した気分だっただろうし、実際そうだったからね。しかも自分の腕一本で。だからこそ、方々で癇癪を起こさないで世の中をうまく渡っていたら、あるいはそのままいけたんじゃないか……と思うと残念なのよ。山城さんが亡くなった後、梅宮さんたちが発起人になって09年10月に「お別れの会」が開かれたんだけど、破滅型の人生の性(さが)というか……つまりは末路がね、栄光の中でのものじゃないわけで、そのとき司会をした僕としても、それは身にしみた。そこが今でも、思い出すと辛いんだよね……。

次ページ:満五郎と呼ばれて

前へ 1 2 3 4 次へ

[3/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。