「山城新伍」さんは、織田信長みたいな人だった… 「せんだみつお」が語る昭和のスター列伝
“小判鮫タレント”と命名
――せんださんとも喧嘩になったことはありますか?
せんだ いやいやいや。僕を誰だと思ってんの? 処世術っていうの? セコい奴が生き残るための術(すべ)は知ってるの。ま、動物でいえば、それこそおこぼれを食うハイエナ? せんだみつお改め“おこぼれみつお”にしようかな。
――山城さんからは“小判鮫タレント”と命名されていましたよね。
せんだ そうそう。あとは“モグリのタレント”とか。ひどいよね!ってことはいいんだけど、山城さんが癇癪を起こしそうなときってだいたいわかるから、やんわり別の話にもっていくとかして、これでも随分、トラブルをおさえたんだよ。
――山城さんの自伝本「現代・河原乞食考 役者の世界って何やねん?」(解放出版社)を読むと、お父さんが、人やものを差別的な目で見ると烈火のごとく怒ったような公正な方で。たとえば、山城さんの癇癪も、そういう理にかなったものだったりしたのでは?
せんだ 正直、理にかなってるとはいいがたいところで癇癪を起こすこともけっこうあってね。たとえば、山城さんが「どん兵衛」のCMをやってた頃、「どん兵衛」の会社(日清)がバスを2台借り切って山城さんの舞台を見に来るってことになったのよ。ところが交通渋滞にハマって来れなくなっちゃって、幕が開いたら、バス2台分の人数の席がガラ空きでさぁ。「なんやこれは!? こんなんやってられんわ!」って言って、舞台の上でカツラをガバッと投げ捨てて行っちゃって……。僕もその横にいたんだけど、もうね、こうなると止められないのよ。うん、あれは信長だな。山城さんは本当に、織田信長みたいな方だったねぇ……。
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