今年の漢字「北」の理由は、あの国ではない! ビートたけしの大正論

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「北」といえばあの人だ

 毎年恒例の「今年の漢字」は「北」が選ばれた。言うまでもなく、あの国からの発想だろうが、それが今年の日本を代表する文字だというのも何となく気分が悪い。だからといって、「北海道日本ハムに清宮君が入ったから」という理由はコジつけ感が強いことは否めない。「九州北部の災害」というのも理由としてはちょっと……。

 それならいっそ、あの人の活躍が理由だと解釈してもいいのではないか。

 そう“北”野武である。

 北野武、あるいはビートたけしの活躍は、例年以上のものがあったと言っていいだろう。監督・主演作の「アウトレイジ 最終章」は興行収入で1位を獲得。同時期に刊行された、初の恋愛小説『アナログ』は10万部、さらに新書『バカ論』も15万部とベストセラーに。映画、小説、新書でランキング1位獲得というモンスターぶりを見せつけたのだ。

 70歳になってまた何度目かの絶頂期を迎えたようにも見えるたけしは、「成功」というものをどう考えているのか。

『バカ論』の中で「成功」についてかなりシリアスに語っているパートがある。テレビでは滅多に聞くことができない、成功についての考え方、そして独特の人生論に耳を傾けてみよう(以下は『バカ論』第6章「たまにはバカな質問に答えようか」より。抜粋して引用)

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人生最大の失敗は?

「人生最大の失敗は何ですか?」なんて質問をたまに聞かれることがある。

 それを聞いてくる奴は、おいらに「FRIDAY事件」や「バイク事故」のことを語らせたいのに決まっている。

 けれど、どっちも“失敗”かと思ったら、結果的には妙に箔が付いちゃった。

 同じことやって箔をつけようと思っても、意識してできることじゃない。

 だから若手にはよく「お前らはおいらに勝てるわけがない」と言うんだ。

 逮捕されたことのある芸人も、前科のある芸人もほとんどいない。いたとしても女子高生の制服盗んだとか、飲酒運転で捕まったとか、しょうもない奴ばかり。

 それに加えて、死にかけた奴がどれだけいるのか。

 その二つだけでおいらには絶対勝てない。

 悔しかったら、警察に捕まってみろ。それから、死にそうになって心臓移植して奇跡の生還でもしてみろ。

 もちろん、それで芸人として消えていったら意味がない。

 その上で、70歳になってもテレビのレギュラーを7本やって、CMにもじゃんじゃん出て、映画を撮って、フランスで勲章をもらってみなさい。

 それで初めておいらに勝てる。

 結局、失敗と成功というのは、背中合わせのところがあるんだ。

 大失敗と思ったことが、後になってひっくり返る可能性だってある。もちろんその逆もしかり。

失敗してみないとわからないことがある

 この世界というのは単純なようだけど、実はそんなにわかりやすくはできていない。例えば「暴力がいけない」というのは全くの正論だろう。けれどそれがひっくり返って、暴力によって平和がもたらされることだってある。建前や理性だけでは説明のつかないことが、往々にして起こるのが人生というもの。

 つまり、世の中には、失敗してみないとわからないことがたくさんあるんだよ。

 おいらの場合は、お笑い芸人だからそれが許されたところがある。真似して暴力行為や自殺行為をしても、それはただのバカ。

 別に宗教を信じているわけじゃないけど、どうしても流れでそうなったとしか言いようがないところがある。簡単に言えば、結果論。

 その結果論を自分で受け入れて、今ある自分を良しと思うところから始めないと、いつまで経っても置かれている状況に満足いかない日々を過ごすことになる。

「しょうがねえなあ」

 なんでそんなにしつこく「結果論」なんて言うかというと、おいらがずっと負けた、負けたの繰り返しで、最終的に「なるようにしかならない」と思ったのが大きい。

 ペンキ屋の貧乏な家に生まれて、「うちはなんでこんなに貧乏なんだろう」ってずっと思っていたけど、それはおいらが悪いわけじゃないし、「しょうがねえなあ」と思うしかない。野球が好きだったけど身体が小さくてものにならないと思っていたし、勉強もそれでトップを取れるほどのものじゃなかった。

 ずっと負けっぱなしだった。

 そうすると自ずと吐(つ)いて出てくる言葉は「しょうがねえなあ」になって、それが身についてくると、あまり物事に固執しなくなる。「何かになりたい」「意地でもやってやる」というよりは、人生には流れみたいなものがあって、「ダメなものはダメだから、しょうがねえなあ」と思うようになった。

 だからといって完全に開き直っちゃって、何をしてもいいんだ、となると、それはちょっと違う。

 芸人になった理由も同じ。何度も言うように、なりたくてなったのではなくて、「しょうがねえなあ」の行き着いた先が芸人だった。

 ただ、昔から感性だけは自信があった。

 これは面白い、面白くないというのは不思議とわかったんだよね。ガキの頃からよくラジオで落語やなんかを聞いていたから、そのあたりのベースはあったんだろうとは思う。

 それで芸人になった。

 なったらなったで、今度は「しょうがねえなあ」では済まされない世界。当然、誰が一番売れるか、誰が一番面白いかの競争が始まる。

 そこで、「負けてもしょうがない」とは思わなかった。

 初めて、勝とう、勝ってやろうと思った。

 スタートラインはそこなんだ。

「しょうがねえなあ」で終わらせたくないことに、初めて出会ったのかもしれない。

 それで今に至る――というわけ。

 それが実感としてあるから、「もう一度生まれ変わったら何になりたいですか?」なんてバカな質問には、「もう一回生まれてきたいわけないだろう」って答えるしかない。

 生まれ変わってなりたいものなんて何もない。

 人生なんて一回経験すれば十分なんだ。

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 あのたけしですら「ずっと負けっぱなしだった」――そう聞くと、少しは気が楽になる人もいるのではないだろうか。

デイリー新潮編集部

2017年12月19日掲載

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