カズオ・イシグロなぜ日本国籍を捨てたのか 30年来の知人が語るノーベル文学賞受賞者の「人となり」

エンタメ 文芸・マンガ

  • ブックマーク

Advertisement

 ノーベル文学賞に輝いたカズオ・イシグロ氏。日本人の両親を持ち、長崎で生まれたことから、日本でもその受賞は大きく報道された。だが、彼の素顔を知っている日本人はそれほど多くはないのではないだろうか。

 そんなイシグロ氏とプイベートな付き合いをしている数少ない日本人の一人が、英国に住む映像プロデューサーのミチヨ・Y・カッスート氏だ。彼女は92年のアカデミー脚本賞などを受賞したイギリス映画「クライング・ゲーム」などを手掛けてきている。お互いに「イシグロサン」「ミチヨサン」と呼ぶ仲だという。そんな彼女から見たイシグロ氏の性格や私生活とは、いかがなものなのか。2014年7月に発売された月刊誌「新潮45」でカッスート氏がイシグロ氏の人となりについてエッセイを寄稿している。この度そのエッセイ(「素敵な隣人カズオ・イシグロ」)が電子書籍として発売された。そこにはイシグロ氏の抱えていたと思われる「アイデンティティ」に関する葛藤が描かれていた。

カズオ・イシグロはどんな人?

 カッスート氏とイシグロ氏が知り合ったのは30年ほど前。イギリスで行われた日本大使館主催の司馬遼太郎講演会だったという。2回目は彼の処女作『遠い山なみの光』の映画化を企画して会った時で、その後、定期的に映画の企画などの仕事中心の関係が続いていたが、カッスート家とイシグロ家が近所であることが分かって、家族付き合いが始まったという。

 さて、カッスート氏のイシグロ氏評とは、「最初の印象であったスノッブとは全く反対のパーソナリティ。しっとりと落ち着いているのだが溢れる好奇心を優しいエレガンスで包みこんでいる。自分の意見は決して直截的には言わない。彼とは反対の意見を唱えても批判をしない。ただし、彼の意見を批判すると静かな口調であるが決然と異議を唱える。また、友人はどこまでも庇う」というものだ。

 イシグロ氏の家族関係については、「彼の妻、ロルナはおっちょこちょいで開けぴっろげなスコットランド人である。彼は自分と全く性格の違う彼女との生活をこよく楽しんでいるらしい」「彼は日本人らしく家族との葛藤や関係を語りたがらない」「唯一、愛情溢れる表現で語るのはナオミという娘の事である」という。

なぜ日本国籍を捨てたのか

 さて、「日本人」であることが注目されたイシグロ氏であるが、実は28歳で国籍を英国に変更している。なぜ、日本国籍を捨てたのかが気になるところではないだろうか。そこに触れた報道はなかったように思える。

 カッスート氏はその謎にも迫っている。ヨーロッパやアメリカの大都市には、その国生まれではない外国人の片親を持つ子どもや、小さな頃にその国に移住してきた子どもが大勢いる。彼らは10代になると、アイデンティティーの問題に直面する。5歳で日本から英国に移り住み、その後作家としての地位を確立するまで一度も日本を訪れることがなかったイシグロ氏もその例に漏れなかったのではないかというのだ。

「私は彼が一般の海外在留日本人以上に日本人とイギリス人とのアイデンティティーの問題を深く考え悩んでいたのではないかと推測している。

 ロックバンドを組んでミュージシャンになるという野望(?)から作家を志した20代後半まで、この問題にどのように折り合いをつけるかを探っていたのではないだろうか」

「当時から作家を志していた彼はまず英国文化とイギリス人に精通した上で、その知識を基盤として両親を通して見た日本をブレンドさせたストーリーを紡いでいく試みを考えていたのではないか。その証拠に彼は日本人を主人公にした小説で作家デビューしている」

 カッスート氏は「日本人を描いた最初の2作では彼のアイデンティティー・クライシスを描こうとしたのだろう」と推測する。これらの小説は話題になったものの、決して傑作とはみなされなかった。アイデンティティーの模索から小説を生み出す試みが上手くいかないと分かった時に、イシグロ氏は「日本を綺麗に捨てて『英国人作家』を選んだ」とカッスート氏はみる。以後の作品は日本人を主人公とはせずに「彼のよく知る英国社会を奥深く描く。英国のインテリが喜びそうなエキゾティシズムを断ち切り、正攻法で英国を舞台とする『英国小説』で作家として挑戦」するようになる。

 その賭けは大きく当たって、3作目『日の名残り』では英国の最高の賞・ブッカー賞を受賞。英国を代表する作家となった。6作目『わたしを離さないで』はアメリカの雑誌「タイム」が選んだ20世紀の傑作小説のひとつになっている。

「欧州で活躍する作家の多くは白人ではない。インド系、中東系とバラエティーに富むが、彼らは一貫して両親の国か育った英国のディアスポラ(海外からの移住者)の視点、つまり自身を反映した主人公のストーリーを書いて成功している。
 しかしイシグロは他の大作家と一線を画した。夢から覚めた後(アイデンティティの模索後)には英国人とその社会又はアメリカ人のストーリーを書いている」

 日本のメディアでは、イシグロ氏と日本との関連がことさら強調されがちだが、イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞できたのは、日本をきっぱりと捨てたからかもしれないのだ。他にも、イシグロ氏が10代の頃遭った「いじめ」が彼の文学スタイルに影響を及ぼしていると見ているなど、カッスート氏はイシグロ氏個人を知る友人ならではの見方で解説をしている。

デイリー新潮編集部

2017年12月8日掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。