永代供養に落とし穴 高野山の名刹「120億円」納骨堂ビジネスの破綻

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事業化のカベ

 龍生院は、816年、高野山に創建され、1800年代末頃、現在地に移転した。歴史があり、好秀住職は高野山でも数少ない大僧正の地位にあるが、都心寺院のため檀家数は少なくなる一方。運営は厳しく、「食べるのがやっと」(好正氏)という状態で、資産といえば無担保の土地だけだが、「境内地」ゆえに使い道がない。その状況から、納骨堂運営という永代供養ビジネスで一気に挽回を図り、今の苦境を脱して将来の安定を目論んだのが好正氏である。

 しかし、事業化には幾つものカベがあった。

 まず、住民の反対運動。環境とアクセスの良さは高級住宅街としての発展につながっており、高級マンションや瀟洒な一軒家が連なる街並みの住民は、景観と環境の悪化を恐れて「三田2丁目の住環境を守る会」を立ち上げ、反対運動を行った。それを受けて区は住民との協議を主導。結果、区画数は1万基だが販売は5000基からスタートした。

 次に、資金である。事業を起こす場合、会社組織と同じで、まず資本が必要となる。総事業費は約50億円と見込まれたが、初動資金すら手元になく、好正氏は借金を重ね、その痕跡は不動産登記簿謄本に残されている。05年3月、不動産金融業者が龍生院の土地に3億5000万円の抵当権を設定。その債権が、名うての都内解体業者に譲渡され、そこに「登記の魔術師」の異名を持つ不動産業者が登場して権利を主張した。解体業者の後ろには、後に倒産する不動産業者のダイナシティが控えていた。好正氏が、借金塗(まみ)れとなった理由を説明する。

「まず、計画をスタートさせること。そうすればなんとかなると、カネを借りまくりました」

 さらに好正氏のコンプライアンス問題が発覚する。現実には、これが最も大きく、事業の行く手を阻んだ。実は彼には、負の経歴があったのだ。

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