「17歳の花嫁」と結ばれた「豊かな老後」

社会2017年10月27日掲載

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 厚生労働省の調査によると、日本人の平均寿命は女性87.14歳、男性80.98歳(2016年)。一方、企業の多くは60歳定年制を採っている。超高齢社会に入って久しいわが国で、定年後の過ごし方・生き方が多くの人々の関心を集める所以である。

 どんな余生を送るのか、数多の選択肢がある中で、海外で第二の人生を謳歌するというのは、多くの人が憧れるケースだろう。もちろん、誰もが簡単に実現できることではない。ごく最近も、リタイア後の移住地として人気のタイ北部で、日本人高齢者の孤独死や徘徊が問題になっていることが報じられ、話題となった。

 一方、先ごろ出版された『定年後の楽園の見つけ方 海外移住成功のヒント』(太田尚樹・著、新潮新書)では、いくつもの老後の海外移住の成功例が紹介されている。中でも、結果的に17歳のフィリピン人女性と「50歳差婚」を遂げることになった元銀行マン・野田誠一さん(仮名)の例などは、正に「事実は小説より奇なり」と形容するほかない。

義母の反対で豹変した奥さん

 当時67歳だった野田さんが、なぜ17歳の花嫁と結ばれることになったのか? 

 まず初めにお断りしておくと、野田さんは現地の若い女性を求めてフィリピンに向かったわけではない。それどころか、東南アジアで若い女性と付き合っている日本人男性を見るにつけ、「いい歳した男が若い女といるのが不愉快だった」と言い切り、こうしたカップルについて「要はカネとセックスの付き合い」と嫌悪していた。その意味では、日本のフィリピン・パブでホステス女性にのめり込み、彼女たちを本国まで追いかけるようなタイプとは対極の男性である。

 著者の太田さんが、日本の戦史研究のためにフィリピンのボホール島を訪れ、初めて野田さんと出会ったのは、2011年3月の東日本大震災直後のこと。野田さんは、かつては家族とともにドイツ、アメリカなど、海外に9年間住んだ経験がある元銀行マンだ。定年に際し、小さいころから憧れていた「南洋の楽園」で第二の人生を送ることを決意し、日本で義母の世話をする奥さんより一足先に、東南アジアの候補地探しに乗り出す。タイ、ベトナムを経て、最終的に選んだのがフィリピン。決め手は、第2次世界大戦で父親が亡くなった国だったことだ。

 今やフィリピンでもNHKの大河ドラマや大相撲中継は、リアルタイムで観ることができる。温暖な気候の上、物価は安く、料理も工夫次第でご馳走になる。日本から多くの書物を持ち込み、悠々自適、読書三昧の日々を送る野田さん。夫婦そろっての南洋での楽園生活が実現するのも時間の問題と思われたのだが、そこで事態は暗転する。

 奥さんのフィリピン行きについて、もともと折り合いの悪かった義母が猛反対しだしたのだ。野田さんは一時帰国して説得に努めるものの、奥さんも海外移住を渋りだした。それどころか話はさらにこじれ、一気に離婚へと突き進んでしまったのである。

「枯れかかった木」に火がついた

 野田さんの老後の計画が水泡に帰してしまったところで、物語の主役として浮上してくるのが、メイドとして野田さんの家に同居していた女子高生、アイリーンだ。

 アイリーンの父親は3年前に亡くなり、娘4人を抱えて困った母親は、彼女を教会に預けていた。神父に頼まれた野田さんは、彼女をメイドとして家に住まわせ、学資援助も引き受けていた。万事に控えめで素直、勉強も仕事もよくする、と紹介されたアイリーンは、色が白くて華奢だが、目鼻立ちに品があって、日本人にも見える美少女。フィリピン人には珍しく、物静かなはにかみ屋でもあった。

 そもそも野田さんにとってアイリーンは、いずれ日本からやって来る奥さんも気に入るだろう、と引き取った、孫のような存在だった。ところが、野田さんが奥さんとの離婚話を打ち明けると、彼女の様子が変わってきた。甘えるような目をすることもあったし、とみに胸が主張し始めた。それが「枯れかかった木」である野田さんに、火をつける結果となった。彼女の学校が休みに入ると、マニラや白いサンゴ礁の浜辺で有名なボラカイ島にも2人で旅行。その後、同じベッドで寝ることとなる。そして――。遂にはアイリーンの故郷の教会で結婚式を挙げ、一子を授かることとなった。

 著者の太田さんは、久しぶりに野田さんに再会し、赤ん坊を抱えているアイリーンを見て驚愕する。野田さんは照れ臭そうに、こう答える。

「こういうことになりました。世の中、まわりを見ると我慢して生きている人が多すぎますね。ま、それをやめた結果です」

老いては妻に従え

 とはいえ歳の差は50である。当初はやはりその差が気になったようだが、じきに慣れてくるものらしい。

「今は全く意識していません。彼女も同じですよ。それに女は結婚して子供を産むと強くなりますからね。生活の主導権はすっかり持っていかれました。育児でも、こちらの注文には逆らわず、にっこり笑って従わず、自分の流儀を譲りませんよ。だから今は任せっぱなしです。男が入っていける限界を感じました。カカア天下の国ですから、老いては妻に従えです」

 というのが野田さんの弁だ。

 フィリピン女性との結婚でしばしば問題になるのは、相手の家族、一族郎党の世話を見る羽目に陥ってしまうことだ。中には、家も金も家族に巻き上げられ、日本に帰る飛行機代さえなく、大使館や領事館で立て替えてもらった悲惨なケースまである。

 だが野田さんの場合、今のところは100キロ離れたアイリーンの実家とはつかず離れずの関係で、毎月2万ぺソ(約4万円)を送っている程度。財産をむしり取られるという状況ではないらしい。

 思いもしない幸せにたどり着いた野田さんの定年後。これも定年前の人生とは別の生き方を見つけるべく、新たな一歩を踏み出したからこそ得られたものだろう。70歳を目前にした野田さんは、「我が家では、まだ子供が増えるかもしれません」とつぶやいているそうだ。

『定年後の楽園の見つけ方』で紹介されている実例は、このほか、フィリピン・マニラの歴史の面白さに嵌った元商社マンや、コスモポリタンの街・ペナン(マレーシア)に夫婦で住み着いた元大学教授、地中海の浜辺で画業に没頭する元テレビマンなど、パターンは様々。彼らに共通するのは、定年後を迎えるにあたり「このまま流されていたくない」という思いを抱え、「○○しなかったことへの後悔」で人生を終わらせたくないと考えた人々であるということだ。

 もちろん当初の計画が思った通りに進むわけではない。日本を出る前の各所への根回しや地ならし、また日本と移住先の慣習や社会保障制度の違いを把握するなど、しっかりとした下準備が必要なのは言うまでもない。周到な下準備の末に楽園に渡っても、思いもかけぬことは起こるだろう。しかしそれは、やらなかったことを悔やみながら生きる人生よりも、貴重で「あなたらしい」人生となるのではないだろうか。

デイリー新潮編集部