日野皓正ビンタ騒動で「戸塚ヨットスクール」校長が語る「体罰の本質」

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人権宣言の嘘と、『ハリーポッター』シリーズのリアル

 戸塚氏は「体罰が不当に悪とされ、禁止されたおかげで今では正しく体罰を行える指導者がスポーツの指導者層でも激減しています」と指摘する。

「最も間違った体罰は、指導者が恐怖で行う事。恐怖で行った指導は体罰ではなく暴力になります。体罰と暴力では目的が全く違います。体罰は相手のため、暴力は自分のため」

 リベラルを自負する人は結局、きれいごとや建前を押し付けようとするが、その欺瞞は多くの人が気づいているという。戸塚氏が、まず提示するのは「世界人権宣言」の第1条だ。英文を引用する。

《All human beings are born free and equal in dignity and rights. They are endowed with reason and conscience and should act towards one another in a spirit of brotherhood.》

 これを、戸塚氏は以下のように訳する。

《全ての人間は生まれながらにして自由である、権利と尊厳において平等である。生まれながらに理性と良心が付与されている。だから、同朋の精神でもって行動しろ》

「西欧の思想における根幹と評してもいいと思いますが、人間が生まれながらにして完成した存在として規定されています。これを突き詰めると、教育の否定になります。しかも英文は受動態ですから、神によって理性と良心が付与されていると読める。人は神の似姿であり、教師と生徒は対等であるという考えは、こうして西欧から誕生しました」

 この理想主義的な、いかにもリベラル然としたメッセージの伝播力は強い。とはいっても、肝心の西欧人ですら、「世界人権宣言」を信じてはいないと戸塚氏は指摘する。

「小説と映画が大ヒットした『ハリーポッター』シリーズに目を通せば、西欧人に限らず、世界中の人々が人権宣言的な建前を信じていないことが分かります。劇中で喧嘩は絶えませんし、いじめもあります。おまけに主人公は想像を絶する苦難を通じて成長します。人間は生まれながらにして自由ではないし、平等でもない。自ら掴み取った成長こそが重要であるという現実と真実が描かれているからこそ、あれほど巨大な人気を得たんです」

 戸塚氏は「人間の強さ」を最重要に位置づける。もちろん腕力ではない。精神的な強さだ。弛まぬ努力を続ける人間を、戸塚氏は「強い」と形容する。

「暴力を振るうのは弱い人間です。物理的な暴力は間違った力であり、それを体罰とは呼びません。体罰は子供の進歩を目的とした力の行使です。子供を傷つけることが目的ではありません。私は体罰を『愛の韃』などと呼び変えたりもしません。体罰は善だと信じるからです」

だから戸塚氏は「体罰」という言葉を使い続けるという。そして、そうした姿勢が他ならぬ、子供たちの信頼を得ていると訴える。

「マスコミやリベラル勢力は教育現場に向かって『あれはしてはいけない、これはしてはいけない』と無菌状態にしようとしますが、これこそ子供を不幸にする元凶なのです。喧嘩も、いじめも、試練も苦闘もない教育現場を想像してもらえれば、簡単にわかってもらえるでしょう。まして『褒めて伸ばせ』は論外です。親や教師が幇間になって、子供が喜ぶとでも思うのでしょうか。子供は大人に、自分の庇護と成長を求めます。無暗に褒められても、嬉しくとも何ともありません。にもかかわらず喜ぶ大人が多いのは、子供を褒めるだけでいいわけですから、極めて楽だからです。手を抜いているんですよ」

 戸塚氏は「人殺したる私が落魄し、生活保護でも受けていれば世間は納得するのでしょうが、そうはいきませんよ」と苦笑する。確かに、ジュニアのヨットスクールという実績を考えれば、誰にでも分かる。粗暴な暴力を振るう男に、愛するわが子を預ける親はいないだろう。

週刊新潮WEB取材班

2017年10月6日掲載

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