柔道“花の48キロ級”興亡史 新たに「渡名喜風南」の一頁

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 かつて“ヤワラちゃん”こと谷亮子が君臨した柔道女子48キロ級。その壮絶な興亡史に新たな一頁が加わる。

 ブダペストで行われた世界柔道女子48キロ級で渡名喜風南(となきふうな)(22)が初優勝した。

 両親が沖縄県出身という彼女は、谷の母校・帝京大学の4年生。身長148センチは、最軽量の同級の選手たちの中でもひときわ小さい。

 ここで“花のヨンパチ”の歴史を簡単に振り返ろう。

 女子柔道が五輪の正式種目に採用されたのは1992年バルセロナ大会で、48キロ級は16歳だった谷(当時は田村)が代表となった。結局、谷は5大会連続で五輪に出場し、銀、銀、金、金、銅、とすべてメダルを獲得したが、最後に出場した2008年北京大会では、国内の選考会で敗退しながら代表に選出されたことから世間の批判を浴びた。

 そのとき谷を破ったのが、9歳下の福見友子だった。谷の引退後は福見の天下に思えた。実際、09年世界柔道では金メダルを獲得している。ところが、すぐに強敵が現れた。福見の3歳下、浅見八瑠奈(はるな)である。

「浅見は、10年、11年の世界柔道を連覇。もちろん、12年ロンドン大会代表の最有力候補でしたが……」

 とスポーツ紙デスクが解説する。

「浅見は選考会初戦で無名の高校生に不覚。タナボタ的に福見が代表になりましたが、既にキャリアハイを過ぎた福見は五輪では5位に終わりました」

 福見引退後は、今度こそ浅見の天下かと思ったが、やはりさにあらず。ほどなく7歳下の近藤亜美が台頭し、14年世界柔道を19歳で制覇。昨年のリオ五輪では銅メダルを獲得した。

「今回優勝した渡名喜は近藤と同い年。新たな二頭体制の幕開けです。もっとも、世界柔道では同階級で代表が複数選ばれることがありますが、五輪は一人しか選ばれない。そのため、五輪の際は、あまりに実力が拮抗していると、ピークを選考会に持っていかざるを得ず、肝心の本番でのパフォーマンスが落ちてしまうことがあります」

 歴史は繰り返される?

週刊新潮 2017年9月14日号掲載

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