没後20年、今明らかになる大山倍達と“ケンカ十段”芦原英幸の恩讐

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 伝説の空手家・大山倍達が逝ったのは、ちょうど20年前の4月26日のことだった。そして大山の高弟“ケンカ十段”芦原英幸は、そのほぼ1年後の1995年4月24日に、この世を去った。

 師・大山倍達から誰よりもかわいがられていた芦原英幸は、しかし強すぎるが故に、だんだんと師から疎んじられるようになってゆく。さらに劇画『空手バカ一代』で物語途中から主人公に据えられ、知名度と人気が一気に上がったことで、師から激しく嫉妬されてしまう。そして最終的には極真会館を追い出されることになる。

 先ごろ上梓された『芦原英幸正伝』(小島一志・小島大志著、新潮社)には、大山倍達と芦原英幸の複雑な関係と、知られざる衝撃の事実が明らかにされている。

一触即発の支部長会議

 1980年3月9日――。

 新宿・京王プラザホテル本館42階「武蔵の間」には、極真空手の各地の支部長など有力者たちが一堂に会し、緊急全国支部長会議に臨んでいた。この会議で、芦原英幸の極真会館からの除名処分が決まった。

 芦原英幸は、錚々たる極真の猛者を前に、ブチ切れた。

「ワシが邪魔やと言うんなら、館長これだけの支部長がおりますけん、ここで芦原を殺してくださいよ! このデカいガラス窓を蹴破って一人ひとり窓の外に放り投げてやってもいいんですよ! ほらお前ら、黙っちょらんで向かって来いや!」

 そして芦原は大山倍達をも威嚇する。

「アンタ『牛殺しの大山』と言われちょるんでしょ!」

「破門だ除名だ手回しのいいことせんでも、今ここで決着つけてくださいよ!」

 大山はじめ出席者全員を震え上がらせた芦原だったが、しかし結局、大山の傍らに座っていた柳川魏志(次郎、当時極真会館相談役)にたしなめられ、会場を後にする。

 その場にいた一人は「あれは完全に映画になるような場面でした」と述懐している。

 ほどなく、芦原はみずからの団体・芦原会館を設立する。芦原会館は急成長を遂げていくが、しかし京王プラザでの一件で柳川の逆鱗に触れてしまったことが原因で、その後、柳川のバックアップを受けた石井和義率いる正道会館のクーデターに苦しめられることになるのである。

大山倍達が刺客を送り込んだ?

 衝撃の事実を、もうひとつ紹介しよう。

 1982年夏のある日のこと――。

 一人の男がボディガード風の男二人を連れて、四国・松山の芦原会館総本部道場へやって来た。極真会館の当時の北海道支部長・高木薫(故人)である。

 高木は、ピストルを隠し持っていた。目的は、もちろん芦原を殺(や)ること。

 しかし、芦原はそんな高木の狙いを見抜いていた。高木らを招き入れると、隙を見て、まずはボディガード風の二人をぶちのめし、高木には裏拳一閃!

 わずか数秒の出来事だった。

 頬骨を骨折した高木は、その後、近くの海岸の砂場に首まで埋められたという。

『芦原英幸正伝』の共著者・小島一志氏は、この一件についても、関係者すべての証言を揃えている。芦原本人が語る事件の詳細から、現場にいた弟子の証言、襲撃しようとした当事者・高木の言葉に、そして大山倍達の弁明まで……。高木は、大山から指示されて仕方なくやったと言い、大山は、高木がどうしてもやるといって聞かなかったと語っている。

 大山倍達が他界して20年、芦原英幸が逝って19年。二人の間にあったさまざまな出来事の真相が、今ようやく明らかにされたのである。恩讐は彼方に――。

デイリー新潮編集部