百田尚樹氏激白(1) 北朝鮮危機について「見て見ぬふり」は許されない

社会2017年8月21日掲載

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高まる緊張

 北朝鮮がグアム近海へのミサイル発射を予告するなど、米朝間の緊張はまた高まっている。もしも米朝が一戦構えることになれば、日本も大きな被害を受ける可能性は大なのだが、メディアも国会もそこまでの緊張感はないようにも見える。

 この数週間、メディアが好んで取り上げた政治関連の話題は、2つの「学園モノ」を除くと、内閣改造とそれに伴った新任大臣の間抜けな発言。閉会中審査が行なわれた国会でも、日報問題に関する水掛け論が繰り返されていた。

 このような状況を作家の百田尚樹氏はどう見ているか。最新のインタビューを2回にわたってお届けしよう。

「北朝鮮を刺激するな」という人

 北朝鮮の脅威に関する日本国内の報道は、3、4月のほうが緊張感を持って大きく伝えられていたように思えます。それに比べると今はかなり落ち着いてきた。

 落ち着いた、というと聞こえは良いですが、要するに慣れてきて、情報を伝える側も受け取る側も飽きてしまった。テレビ局などは「新味がない」と判断しているのでしょう。

 しかし、その後も北朝鮮は次々と技術が進歩していることを見せつけていて、危機が高まっていることは間違いありません。アメリカに詳しい知人によれば、CNNなどでも北朝鮮関連のニュースがかなりの時間を占めており、どう対処すべきかが大きな政治的争点にまでなっているそうです。「早目に攻撃すべきだ」という立場と「そんなことをしてはいけない」という立場とで対立している。

 しかしこれはおかしな話で、いくらアメリカに届くICBMを開発したといっても、有事の際に被害を受ける可能性が高いのはアメリカではなく韓国であり、日本なのです。ところがその日本では、ピントの外れた議論がいまだに平気で幅を利かせています。

 その代表例が「ミサイルを迎撃したら北朝鮮を刺激するだけだ。もっと平和的な話し合いをすべきだ」という類の意見でしょう。

 もちろん平和的な話し合い、外交的努力をおろそかにしてはなりません。

 しかし一方で、最悪の事態、すなわち彼らが暴発してしまうことは想定しないといけないのです。迎撃も含めて、様々な事態に備えて日本に何ができるのか、何をすべきかを想定し、準備するのは当然です。

言霊信仰の弊害

 ところが、日本人には昔から言霊信仰のようなものがあり、これが「最悪の事態」を想定することを邪魔してきました。

 このことは新著の『戦争と平和』にも詳しく書いたのですが、「悪いことを言ったり考えたりすると、それが現実化する」という思考法が根強くあるのです。

 日本の誇る最強の戦闘機、ゼロ戦とアメリカのグラマンとを比べた場合、前者は圧倒的に防御力がない。防御力を犠牲にしてでも、速度や旋回能力を向上させることにしたからです。当然、それではパイロットの命が危なくなるのですが、当時の海軍上層部は「撃たれなければいいのだ」と考えました。

「最悪の事態」を考慮しなかったのです。結果としてゼロ戦は非常に攻めに弱い戦闘機になりました。

 作戦においても同様でした。ガダルカナルなどの戦いでは、実際の戦闘よりも餓死による犠牲者の方が多く出ました。これも、作戦がすごく順調に進んだ時だけを想定して、もしも長引いた時にどうするか、について真剣に考えなかったからです。

「もしもうまくいかず、長引いたらどうするんですか」

 そんなことを言ったら「縁起でもないことを考えるな」と怒られるわけです。

 そんなのは過去の話だ、と思われるでしょうか。

 しかし、これも『戦争と平和』で触れましたが、たとえば福島第一原発事故に関連しても、同じようなことが見られました。事故処理のためのロボットが無かったのは、以前から現場からは「深刻な事故に備えてロボットを開発すべきだ」という声があがっていたにもかかわらず、上層部が握りつぶしてしまい、開発が進まなかったからです。

 仮に電力会社が開発を進めていたら、

「おたくは事故なんか起こらないと言ったじゃないか」

 と責められる。それを怖れたのです。

がん検診の受診率が低いのは

 個人のレベルでも「最悪の事態を考えない」癖は国民性としてあるようです。日本人のがん検診の受診率は欧米先進国と比べると非常に低く、たとえば子宮頸がんや乳がんなどの検診率は欧米の半分程度だそうです。

 もちろん人生哲学として、そういうものは受けず、いかなる時も運命を受け容れる、という人がいてもいいでしょう。しかし、どうも実際は「悪いものが見つかったら怖い」といった理由の人が多いようです。

 要するに嫌なものは見たくない、という心理が働いている。

 決して、「がんになったら、それも運命」と達観しているわけでもないのです。その証拠に、ほとんどの人が、本当に体の具合が悪くなってから病院に行き、がんと宣告されてから、慌てふためいて治療に入るのです。

 しかし発見が遅ければ、それだけコストはかかるし、リスクも高くなる。早め早めに治療しておけば、コストもかからず、生還率も飛躍的に高まります。

 北朝鮮についても、実は日本は長い間、同じようなスタンスでいた、つまり「そんなにひどいことにはならないだろう」と、最悪の事態から目を背けてきたのではないでしょうか。

 彼らに核開発の意思があったことはずっとわかっていました。それをミサイルに搭載し、実用化を進めていることもわかっていました。今はそれほど危険でなくても、技術の進歩で、いずれ日本列島がすっぽりと北朝鮮の核の射程内に入ってしまうことは容易に想像できました。

 それなのに、政治家も含めて日本人の多くは、悪いものは見ないようにしてきました。国際社会に「早目に処理したほうがいい」といったことを本気で訴えたりはしませんでした。それどころか、私のように北朝鮮の脅威を訴える人間は物騒なやつだと見られかねなかったのです。彼らを敵視したら、かえって刺激して危ない、というのです。

 下手に騒いだり、対策を練ったりするよりも、静かに見守ろう。そうすれば向こうの気が変わるかもしれない、体勢が崩壊するかもしれない、事態が好転するかもしれない……それはあたかも悪い病気が見つかったのに「しばらくすれば自然に消えるかも」と淡い期待をするのと同じではないでしょうか。

 実際に、世界が見守っているうちに、時間は経ち、その間に北朝鮮は着々と技術開発を進めて行ったのです。「平和的な話し合いを」と言う人たちは、この間の経緯を忘れているか、知らないのか、どちらなのでしょうか。

リアリストとして考えよ

 最悪の事態を想定しないという日本人の民族性が究極的にあらわれているのが日本国憲法でしょう。日本国憲法には「緊急事態条項」がありません。緊急事態条項とは、戦争や大災害のように国家存亡の危機が発生した場合に、憲法や法律の平時通りの運用を一時的に停止するというものです。

 世界各国の中でこうした緊急事態に関する条項がない国などほとんどありません。

 ところが、日本国憲法にはその条項がないどころか、これについての議論もタブー視されてきました。反対する人たちは「戦前に戻ることになる」「国家が国民を弾圧する」というのです。彼らは、そうした条項が出来れば、「法の拡大解釈を招き、結果として国家権力が危険なふるまいをする」といった類の懸念を示します。

 しかし、その根底にはやはり「最悪の事態を想定したくない」という心理が働いているのではないか、と私は考えています。つまり、外国がいきなり攻撃をしてくること、侵攻してきて占領することを想定したくないのです。

 こうした思考法は、平時の時はまだいいでしょうが、もう今はそういう状況ではありません。今回、私は徹底的にリアリストの立場から平和を守るためにどうすべきかを考え抜き、『戦争と平和』という本を書きました。

「悪いことは見ないようにする」「そのうち何とかなる」といった空想主義的な考えから脱する人が一人でも増えれば、と願っています。