沢口靖子は音痴、斉藤由貴は補欠…伝説のマネが明かす「東宝シンデレラ」秘話
満杯なのに赤字
話は横道にそれますが、東宝芸能は書類・面接を通じて家庭環境を厳しくチェックします。東宝の顔にもなる女性にスキャンダルが付きまとっては困るからです。だから、書類では両親の職業を確認し、面接ではときに親御さんとも話をします。
沢口もしっかりした家庭の娘でした。後日、事務所の首脳陣が彼女のご両親の家にあいさつに行ったときは、「靖子は東宝に嫁に出したつもりでいます。よろしくお願いします」と言われたものです。気軽にデビューする今の時代とは違いますね。
ところで、第1回オーディションでは、実は沢口以外に合格者がいました。後で「ファイナリスト」という呼び方をされていますが、正直、気になる娘だから採っておこうぐらいの感覚です。沢口が抜きんでていたこともあって正直、期待はしていない。補欠のような扱いで残ったのが、あの斉藤由貴です。期待度としては、その程度だった。
ところが、ご存じのように彼女は予想外の活躍を見せてくれた。斉藤のデビューは「ミスマガジン」のグラビア。これも東宝芸能としてはあまりやらない手法だったのですが、ブレークした一因は、彼女についたマネージャーの熱心さでした。時代はアイドル全盛期、マネージャーも「アイドル・斉藤由貴」として猛烈な売り込みをかけ、翌85年発売の「卒業」が大ヒット。オリコンでいきなり6位に入り、ドラマ「スケバン刑事」の初代主役も決まります。
レコードが売れるとコンサートツアーを東京、名古屋、大阪と次々に打ちます。2000〜3000人の会場が、どこも満杯。行く先々でファンが押しかけてきて、嬉しい誤算とはこのことでしたが、会社としては困ったことになった。
東宝芸能はそれまでアイドル歌手を育てたことがないものだから、音楽ビジネスが皆目分からない。一方出版権を持つレコード会社はウハウハでしたが、こっちはバックバンドやスタッフの人件費などで大赤字。「客が満杯なのに、何で赤字になるんだ!」と担当者は上層部から大目玉です。
それで、2回目のツアーから私が「電卓」を持ったプロデューサーとしてコンサートツアーについて回るようになりました。
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