「老舗文壇バー」ママが明かす 「三島由紀夫」「手塚治虫」秘話

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「クラブ数寄屋橋」の園田静香ママ

 敷居の高い印象のある夜の銀座でも、かつて十数軒あった「文壇バー」は、今や幾つかを残すのみ。中でも川端康成や井上靖といった文豪らが愛した老舗が「クラブ数寄屋橋」だ。この度、開店から半世紀という節目を迎え、『銀座の夜の神話たち』を上梓した園田静香ママが、知られざる作家の秘話を明かしてくれた。

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 最も印象的な出来事があったのは、1970年11月のことでした。その日、三島由紀夫先生が編集者などお付きの方々と5人でお越しになられましてね。残念ながら店内が混み合っていて、私自身はテーブルにつけませんでしたが、先生は皆さんと非常に熱い議論を交わしていました。ようやく帰り際になって顔を合わせると、唐突に先生が私の肩に手を置き、「見ろ、このママの目が一番光っている!」と仰ったのです。正直、その時は意味が分からなかったのですが……。

 その1週間後、11月25日に三島先生は市ヶ谷駐屯地で自決してしまいます。“死地に赴く兵士の目には、野に咲く一輪の花さえ愛おしいものに映る”と言われますが、最期を悟った時になって、生命の輝きに気づく。あの時は、残された最後の時間を使い、方々にお別れをしていたのかもしれない。私を見つめる三島先生のぎょろっとした大きな目には、青白い炎が宿っていました。その目を今でも忘れることができません。

■「宇宙人とお茶してた」

 足繁く通ってくださったお一人に、漫画家の手塚治虫先生がいます。多い時は週に2回ぐらい。あまり夜遊びをされる方ではないのですが、クラブで飲まれる場合、9割方は「数寄屋橋」を選んでいただきました。

 私は昔から母に“人前で歌うのは止しなさい”と言われるほど音痴なので、自分で作詞作曲をしていました。だって、自分の作った歌なら音程が間違っていても誰にも分からないでしょ。そうやって作った曲を先生に披露すると大げさに褒めてくださり、私の曲でLPを制作した際はプロデューサーを務めてくださいました。

 打ち合わせの際、先生が遅刻されたことがありまして。「先生、何してたの!」って聞いたら、「ごめん、実は宇宙船に乗って宇宙人とお茶してたんだよ」なんて仰る。じゃあ、私も宇宙へ連れてってと返すと、笑いながら、今度は一緒にと約束してくれました。決して男女の仲というものではありませんでしたが、先生は創作活動を通して私を可愛がってくださって。素晴らしい関係だったと感謝しています。先生のボトルは今も店に置いてある。どうしても捨てられないのですよ。

 50周年を迎えて、昔ほどではないにせよ、石田衣良さんや伊坂幸太郎さんなど若い作家さんが来られることもあります。けれど、昔と今とでは飲み方ひとつとっても違いますね。昔の方が「破滅型」というか、何軒もはしご酒をして朝まで熱く議論を戦わせるのが普通でした。今と違いネットもない時代は「人」が情報源ですから、1日に4、5人の先生が集まるのはザラ。作家と編集者が打ち合わせに使うこともありましたが、互いに良いものを作ろうと一触即発になることも日常茶飯事で、それほど熱い時代でしたよ。

 今は連載の始めと終わりしか作家と編集者が顔を合わせないこともあるとか。直接のやり取りが希薄になると、どうしても人間同士がぶつかり合い、時には耳の痛いことを言うのを避けるようになってしまう。それはビジネス全般に言えることではないでしょうか。

 私もどこまでできるか分からないけれど、クラブのママは天職ですから生涯現役で頑張りたい。若い方にもっと来て欲しいですね。

ワイド特集「女と男の『劇場』」より

週刊新潮 2017年5月18日菖蒲月増大号掲載

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