デイリー新潮

国内

昭和末期の頽廃がカルト宗教の揺り籠

現在発売中

週刊新潮 2017年6月1日号 
2017/5/25発売

ネット書店で購入する

宗教団体が生まれていった昭和末期(写真はイメージ)

 バブルの饗宴の陰で、数々の宗教団体が生まれていった昭和末期。その中には、後に「カルト」として社会問題化する教団が含まれていた。時代の何が彼らを生み出したのか。

 ***

 オウム真理教による化学兵器サリンを用いた無差別テロなど一連のいわゆる「オウム事件」。「足裏診断」で1000億円近くをかき集めた「法の華三法行」の巨額詐欺事件。

 これらカルト団体の起こした事件の他にも、刑事処分こそ取られていないが、幸福の科学が「フライデー」の記事に抗議して講談社にデモをかけ、電話やFAXで通信をマヒさせた「フライデー事件」や、布施返還訴訟や教祖のセクハラ裁判を発端にメディアで批判され、次々とメディアを訴えたコスモメイト(後のワールドメイト)の訴訟濫発などは、世を大いに騒がせた。

 いずれも平成に入ってからの出来事だが、これらの教団の草創期は、全て昭和末期に集中している。

 昭和59年には、麻原彰晃がヨガ教室「オウムの会」を設立。同じく59年、深見青山氏(後の深見東州。本名は半田晴久)が神道系宗教団体「コスモコア」を設立した。現在は「ワールドメイト」の名で宗教法人格を取得している。大川隆法氏が「幸福の科学」を設立したのは、この2年後の61年だ。さらに62年には、福永法源氏の「法の華三法行」が、早くも静岡県で宗教法人の認証を受けている。

 幸福の科学の草創期を知る元信者はこう語る。

「幸福の科学は、西荻窪のビルの一室で会員を集めて行う勉強会からスタートしました。大川隆法氏の父・善川三朗は、元は生長の家の信者。隆法氏が谷口雅春の死後に“谷口雅春の霊言”を発表するなどして、生長の家の信者がかなり幸福の科学に鞍替えした。教団の初期の幹部には、元創価学会員もいました」

 慎ましく始まった各教団だが、コスモメイトの信者数は平成5年前後に2万~3万人と報じられており、オウム真理教は警察の強制捜査を受けた平成7年で約1万人。この年、法の華の公称信者数は10万人を突破した。幸福の科学の1200万人という公称信者数はご愛嬌として、いずれも既存教団ほどの規模ではない。しかし、若者が多く入信したこともあって、マスコミも取り上げる社会現象となった。終戦直後に続く宗教ブームの第二波である。

「背景には様々な要因がありますが、バブル時代にかけて、資本主義的な自由や競争の広まりが誘発した利己主義や自己責任論の拡大によって、とりわけ弱い立場の人々への共感が後退した。社会的な絆が薄れていくなかで居場所を見つけられない人を仲間に引き入れるとき、一般社会と隔絶した特殊な連帯意識を作ることが有効に作用するわけです」(上智大学特任教授で宗教学者の島薗進氏)

 平成11年、千葉県成田市のホテルで“ミイラ化”した男性の遺体が発見された。逮捕されたのは、病人の頭を叩く「シャクティパット」で病気を治すと称して男性を死なせた「ライフスペース」の高橋弘二氏。この団体の設立も昭和末期だ。

 殺人罪で服役した高橋氏は平成21年に出所。残党が「SPGF」と名乗っていまだ活動を続ける。法の華の福永氏も昨年、出所し、後継団体「天華の救済」で宗教活動を再開した。オウムは「アレフ」や「ひかりの輪」として、いまも団体規制法に基づく観察処分の対象となっている。刑事事件を起こすには至らなかった幸福の科学やワールドメイトも、活動を続けている。

 平成初期から現在に至るまで世間を騒がせる宗教団体を生み出して幕を閉じたのが、“昭和”という時代だったのである。

特集「雨後の筍『新興宗教』裏面史」より

  • 週刊新潮
  • 3000号記念別冊「黄金の昭和」探訪 掲載
  • ※この記事の内容は掲載当時のものです

この記事の関連記事