“永田町の黒幕”殺人で死刑囚逮捕 「週刊新潮」だけが知る事件の全貌

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■「死刑囚」の告白 事件を闇に葬ろうとした「警視庁」ジレンマ八百余日(下)

 死刑囚・矢野治(指定暴力団・住吉会の幸平一家矢野睦会の前会長)(68)が告白していた「永田町の黒幕」殺害の全貌。「週刊新潮」の報道により、警視庁はようやく矢野の逮捕に踏み切った。矢野は2件の犯行を告白していたが、今回の逮捕容疑は不動産ブローカー、斎藤衛に対する殺人である。

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矢野治死刑囚

 斎藤の遺骨は昨年11月30日、秩父に隣接する埼玉県ときがわ町の山林で発見された。彼の右手の骨は虚空を掴むように地中から突き出され、薬指にはプラチナの指輪が。そのリングの両脇2カ所には、彼の稼業名である「龍」の文字が刻印されていた。

「龍は不動産ブローカーとして住吉会のある組に出入りするうち、幸平一家の有力幹部に気に入られ、企業舎弟になった。矢野さんと知り合ったのもその関係だ。その頃から『龍一成』という稼業名を名乗るようになった」(暴力団関係者)

 斎藤がその有力幹部の紹介で知り合ったのが、旧川崎財閥の資産管理会社「川崎定徳」の佐藤茂社長だ。あらゆる方面に顔が利く佐藤の後ろ盾を得た斎藤は地上げで成功。1992年には10億円近い所得があり、全国長者番付にも登場した。

 しかし斎藤は、銀座のクラブに高級車に、と湯水のごとく金を費消。そんな彼が目を付けたのが、国会議員を目指していた友部達夫が設立した「オレンジ共済組合」の“オレンジ・マネー”である。

 同組合は92年頃から高配当の金融商品を売り出して100億円近い資金を集め、その一部は政界に流れた。95年の参院選に出馬した友部が、新進党での比例名簿順位を上げさせるため、5億円もの資金を使って行った政界工作。それを担ったブローカーこそ、斎藤その人であった。

 結局、政界工作のおかげで友部は初当選と相成ったものの、96年には組合が破綻、97年に詐欺容疑で逮捕された。一方の斎藤の姿は97年、国会にあった。オレンジ共済事件に関する証人喚問の席で、政界に金をばらまいた“永田町の黒幕”として追及を受けた彼がぷっつりと消息を絶つのは、翌98年春頃のことだった。

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