宇野昌磨、フィギュアのきっかけは浅田真央からの一言 祖父×山本富士子「金メダルへの道」対談

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■真央ちゃんに誘われて

宇野藤雄氏

宇野:それが幸いしたといいますか。孫がホッケーをしていた時に、たまたま隣のリンクで練習をしていたのが浅田真央ちゃん。彼女が昌磨を見るなり“フィギュアをやってみない?”って直接、声をかけてくれた。その縁あって、真央ちゃんのコーチだった山田満知子さんたちにご指導を仰ぐことができたんです。リンクに通える環境で両親が育てなければ、真央ちゃんに誘われていなければ……。人生はどんな人に出会うかで変わっていきますね。

山本:それは絶対ございます。人との出会い、めぐりあいは大切ですね。

宇野:けれど、よい出会いがあっても、本質を捉えて、自ら方向性を決めて努力していかないとモノにはならない。孫はやってくれると信じていますが、私には2つの心配事があるんです。

山本:いったい何ですか。

宇野:ひとつは身長ですね。孫は159センチあるけど、もう1センチあるといい。あと1センチ伸びると、美術的な観点からもプロポーションがよくなると見ているんです。

山本:年齢的にまだこれから……20歳を迎えても伸びるものなんでしょうか。

宇野:そこが難しいところで必要以上に伸びすぎてもダメなんです。まさにコマの原理と一緒で、背が高くなりすぎると下の軸が伸びてバランスが悪くなる。そうなると、これまで自分で会得してきた技術が通用しない。結果として跳びあがったら着氷で支えきれずに腰をやられてしまいます。

山本:もうひとつは?

宇野:昌磨も女の子に興味を持つ年頃ですが、そちらに入れあげてしまうとダメ。

山本:なるほど(笑)。

宇野:デートに行くか、練習するか迷った挙句、女の子と一緒に過ごす方を選んでしまったらもうダメだ。

山本:なんだか、かわいそう……。でも不思議ですね。昌磨くんは実際の身長よりも、氷の上で滑っている時の方が大きく見える。そういう雰囲気って、とても大事なことだと思います。

宇野:舞台も役者さんが花道から出てくると、普段の印象とまるで変わりますね。

山本:確かに、舞台もスケートも一緒ですね。

宇野:雰囲気と言えば、昌磨はリンクに登場する時の様子で“今日はうまくいくな”とか、“失敗するな”というのが分かる子ですね。

山本:それは、やっぱりおじい様だからでしょうか。

宇野:本番前に試走した後、シューと滑って演技を始める場所、リンクの中央でピタッと止まるでしょう。その時の“やるぞ”っていう昌磨から発する気力がある。その気力を感じられない日は本当に転んでしまう。

山本:身体からなにかを発しているんですね。

宇野:けれど、僕はどんどん転ばないとダメだと普段から言っていましてね。来年のオリンピック本番でコケたらダメだけど、極端な話、昌磨の目標はそこで金メダルをとること。それまでは“全部転べ”というのが私の持論です。ヘタに成功し続けると人間は浮足立つ。初めて4回転ジャンプに成功したといっても、それはまだ“術”でしかない。何十回と跳んで失敗し、感性を表現できる域に達しないと“芸術”を極めたことにはなりません。

山本:確かに、スケートというのは血の滲むような努力で練習を重ねても、大舞台で失敗することもある。その辛さが私にはひしひしと分かるんです。例えば、氷のコンディションはその日によって変わりますよね。観客の皆さんの反応、そこから生まれる会場の空気も……。それら全てが舞台と同じなんですね。私たちも台本を読んで考えを重ね、お稽古を幾度も幾度も繰り返して本番に臨みますが、これまで何百回と再演を続けたものでも、序幕から終演まですべて納得いくまで出来た舞台は本当に数えるほどしかない。だから明日こそは、明日こそはとまた舞台に立ちます。その繰り返しですから。フィギュアでも1回こっきりの試合で納得のいかない結果が出ることが、どれだけ辛いことかよく分かる。だから、余計に興味を持って観戦してしまうんです。

宇野:思い通りにやれなかったら泣く選手もいますよね。そんな時は、ついついこちらも涙腺が緩みます。苦しいだろうなって。

山本:辛いと思います。

宇野:人間の限界に挑む、オリンピックのような舞台では特にそうですね。僕はマラソンでも泣いてしまう。

山本:ただ、五輪でもマラソンや水泳は、何分何秒ではっきりと勝敗がつきますでしょう。それに比べてフィギュアは技術的な点数に加えて芸術性の部分も審査員に評価される。選手にとっては余計に辛いと思うんです。振付でも、例えば、手の出し方、動きの強弱、非常に繊細で、微妙で……その積み重なりで結果も変わってくる。舞台でも本当に何百回と再演しているのに、その千秋楽でハッと気がつくことがあります。あ、ここはこういう身体の動きをしたほうがよかったんじゃないか、こういうやり方もあったんじゃないかと。回を重ねても、最後にこういうやり方があったんじゃないかと気づくんです。

宇野:それは、山本さんのような大女優、その道を極めた方だからこそ言えることです。芸術の領域というのは、舞台でも絵画でも音楽でも、いくところまでいったら一緒ですけども、最後に自分自身が納得できるかどうかも大事ですね。

山本:フィギュアの選手たちも、点数よりも自分が納得できるかどうかが大切とよく言われてますよね。そういう意味で、到達するところがない苦しみはスケートも舞台もみんな同じ。絵の世界もそうですよね。

宇野:もう毎日、描き直すことが仕事ですね。完成したと思っても、何年か経ってまた直すこともあるくらいで。私も孫のフィギュアの試合を見た後、改めてアトリエで自分の絵を見直すと直すべきところが見つかったりすることがあります。絵を直すということは自己を顧みることでもあるけれど、僕は昌磨の滑る姿を見て己の審美眼を確認しているのかもしれません。

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(下)へつづく

特別対談「山本富士子vs.宇野藤雄 『本番までは全部転べ!』『術から芸術へ』 フィギュア一筋『大女優』と祖父が占う『宇野昌磨』金メダルへの道」より

週刊新潮 2017年4月6日号掲載

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